今日は、春のワルツDVD-BOXVol.Ⅰの付録のメイキングを見ました。
撮影風景でモニターが映っていたのですが、16:9の画面の両側に白い線が引いてあって、その線の中が4:3のスタンダードサイズになっていました。
ということは、ただ単純に4:3の中にメインの写したいものを入れて、ワイド画面の時の両端はおまけみたいなものなんだなーと思いました。
この映像を見るまではワイド画面で映像を撮影してその後で、トリミングして4:3にしているのだと思っていました。
しかし、春のワルツの映像にはとてもこだわっているのがよくわかりました。
そして、いよいよDVD-BOXVol.Ⅱを開けて、第10話を見ました。
このブログはNHKで第10話を見て、感想を書いたのが始まりです。
もう一度、新たに感想を書きます。
チェハとウニョンがCDを買った後、二人の歩くシーンがいいです。
後ろを歩くウニョンが、チェハとの距離がひろがると、ちょこちょこ小走りになって追いつく。でもすぐまた二人の距離はひろがってウニョンが追いかけていく。
とうとう、チェハとウニョンは手をつなぎ一緒に歩いていくのです。
ウニョンは家でミジョンに、チェハへの気持ちを言い当てられます。
同じようにチェハもガム売りの少年カングに、ウニョンへの気持ちが愛だと言い当てられるのです(このシーンは日本版ではカットされています)。
それから、橋の上のシーンになります。
本当にこのシーンは春のワルツベストテンに入るシーンですね。
なぜ、川の音を録音しに来たかというと、その前にウニョンが映画『春の日は過ぎゆく』のようにチェハのCDに春の音を入れたらいいと提案してスタッフが賛成したからなのです(このシーンも日本版ではカットされています)。
橋の上のチェハとウニョンの会話はおしゃれですよね。
この会話でチェハの思いはウニョンに伝わって、二人の間はより親密になりました。
チェハが懺悔するシーンで神父が「人は苦しんで成長します。神様は私たちに手におえない苦しみはお与えになりません。」というセリフがカットされていますが、このセリフこそ、ありとあらゆる韓国ドラマのテーマであり、人生のテーマですよね。
最後にチェハがウニョンを突き放し、置いていこうとしたのに、もどってウニョンを立たせ、キスをする。
この第10話のラストシーンが一番チェハとウニョンの二人が愛を感じ、幸せの頂点にいた時なのかもしれません。
親友も、恋人も、家族もすべて忘れて、ただお互いを感じていた瞬間だったのです。
第11話から、チェハとウニョンの関係に次から次へと障害が現われていきます。
ここからウニョンの笑顔に影が差すことが増えていきます。
フィリップの「家族、母親、父親、ピアノ、そして…。お前はすべて持っている。その中のひとつでいいからおれにくれよ。」というセリフも悲しいし、チェハの「全部、他人のものだと言ったらどうする。」というセリフも悲しいですね。
もしかしたら、フィリップは、チェハにとって本当の自分(スホ)の親友ではなく、虚構のチェハの親友だと無意識に感じているのかもしれません。
チェハが自分を取り戻すためには、ただ一人、彼を認めてくれたソ・ウニョンに出会うしかないのです。