魔王久しぶりに見てみました。
このドラマは「雪の女王」の2ヶ月後に放送されたので「雪の女王」を引きずっています。
最初に出てくるヘインの子役はボラの子役でしたし、ヘインの勤める図書館は、テウンとボラの通った図書館です。
テーマも罪と罰です。
最初のオム・テウン演じるカン刑事を見ると、この人はこれからの事件を解決するんだなーと思っていると、もっと事件にかかわっていたり、最初の殺人事件である被害者の弁護士のオフィスに入るところでカン刑事と事件に関わりのある人物が出会っていたりと2度目の視聴はより違った視点で見ることができます。
ヘインのお母さんとか「18・19」のボンマンの弟とか、なぜ韓国ドラマには耳が聞こえず、話せない人物が出てくるのでしょう?こういう人たちはみな性格の良い、優しい人物です。
たぶん、韓国で話すということは自己主張につながるのでしょうね。
だから、話せないということは、自己主張できない、しないということなのです。
そういう静かな人たちが、韓国ドラマでは殺伐としたドラマの癒しというか、休息場所となるのでしょう。