1978年。市川崑監督。石坂金田一シリーズ第4作。
もう40年前の映画なんですねー。
どうも仲代さんとか岸恵子さんとか今のイメージで見てしまうと違和感が出てしまいます。
しかし、さすが市川監督です。あんなまとまりのない長い原作を2時間20分にうまくまとめています。
しかも、重要なシーンはきっちり抑えているのがすばらしい。
ヒロイン智子を中井貴恵さんが演じていますが、回りの女優陣が凄すぎて、かわいそうなほど地味に見えます。
相手役の沖雅也も当時は良い配役だったのでしょうが、今となってはミスキャストになってしまいました。
この作品の重要なところは19年前の密室殺人事件の謎です。すべての悲劇はここから始まっています。
そこをこの映画はちゃんとおさえていました。
すでに原作を読んで犯人はわかっているので、謎解きというより、心理描写を中心に見ていました。
それにしても、女性が犯人だと犯人の哀しみやら情緒が感じられるのですが、男性(おっさん)が犯人だと犯人に共感できないというか、盛り上がりが足りなくなることがよくわかりました。
だから、獄門島の犯人も女性にしたのかーと納得しました。
まー、岸恵子さん演じる神尾さんが最後に二人を殺すのですから、彼女も犯人だとすれば、この映画も哀感が漂ってきます。
原作と違うといえば、犯人の動機をわかりやすくするために両親の復讐話を足していました。
この辺は余計な感じです。
今日、思いついたのは、19年前の悲劇の原因は、琴絵をめぐる仁志(映画での名前原作は達哉)と銀造(映画での名前原作は欣造)の恋のさや当てとなっていましたが、実は銀造が愛していたのは琴絵ではなく仁志だったのではないかということ。
だからこそ、銀造は琴絵を愛した仁志を撲殺したのではないでしょうか。
そうなると、その後の仁志を殺してしまったと思いこんでいた琴絵の苦悩を放置していた銀造の行動が理解できます。
銀造の琴絵への復讐だったのです。
そして、智子が琴絵のではなく仁志の忘れ形見であるからこそ、銀造は智子が欲しくてしようがなかった。
そのために、殺人を犯し続けたということなのではないでしょうか。
この考えのヒントになったのは福永武彦「草の花」です。気になった方はを読んでみてください。
なーんて、いろいろ考えさせてくれたので、やっぱりこの映画はすばらしいのでしょう。
そして、以前見た古谷金田一の「女王蜂」は原作でなく、この映画をベースに話を作ったんだなーと納得しました。