妊娠がわかってからというもの暇さえあれば、私は生まれてくる子供の名前を考えていた。
未だかつてこれほどまでに漢字に注目したことがあるだろうかと思うほど、
音読み、訓読み、意味、画数に至るまで勤勉に。
音の響きがよく、毛筆で書いた時、苗字から名前にかけて流れる美しさがあって、
親の期待をいっしんに込めすぎて子供にプレッシャーにならないような、
できれば呼びかけるとき気恥ずかしくならなくて、
そして、何より誰もが読み間違えのない名前を・・・と自身が掲げた理想により、
私は命名の迷路に迷っていった。
それでも一筋の光を頼りに進んでいくと、これは?と思うものに出会えるもので、
見つけた名前を心の中でころころ転がしながらどきどき主人の帰宅を待った。
私が自慢げに、そして期待に胸をふくらませてその名を告げると主人は
「職場に同じ名前の方がいるからだめだよ」
(どこまで気を遣うねん)
またある時は、「小学校時代、同じクラスにいたが奴は性格が良くなかった。ダメだ」
(そんなの知るかぁー)
挙句の果てには
「この一字を使うと、俺(主人の友人)からとったと奴がつけあがるからダメだ」
(もう、いい加減にして)
主人と私のこだわりどころの違いにいくつもの名前が候補圏外となり、消えていった。
次第に手がかりになればと手にした姓名判断(書物)にはまっていく。
ニュースを見ながら、夫婦共々右手を動かしている。おのおの画数を調べているのだ。
ひく。 あぁ やっぱり こりゃ 画数が悪いわ・・・
じゃあ、あの人はこの人はと当初の名前を考えるという目的から、
この著者が当たっているか否かを確かめる作業にすりかわっていることに気づかず、
夫婦もろとも姓名判断の深みにはまっていく。
ちなみに私自身、姓名判断で決まったクチである。
新しい主人の苗字で検索したら、どうやら私は旧姓時代の持ち運をなくしてしまったらしい。
(もう、私の人生どうしてくれるのよ。
あなたが私の名前に変わってくれればよかったじゃない。女って悲しい・・・)
こうなると、もう出口なし。
暗中模索、赤ちゃんの名づけ講座なるものに参加した。
「みなさんね、自分の好きな名前と姓名判断、色々な視点を全てごちゃごちゃにするから、決まるわけがない」
先生は当たり前に偉大だった・・・
自分の好みにあわせると占いからは遠ざかる。
占いにあわせると自分の好きから遠くなる。・・・ですよね。この学びを主人に告げると、
「私たちもこんなに姓名判断にはまったのだから、
生まれてくる子もいずれ調べるだろう。そのとき、やはり大凶運だと悲しむに違いない。
我々の好きに、やはり姓名判断も考慮して決めよう」
このほどほど案。このときは妙に納得したが、今、綴ると妙に笑える。なんか面白い(笑)
やはり人間、知ってしまうと知らなかったことにはできないもの。
思い入れだけで決めようと考えている方がいれば、
最後まで占いの本は手にされないことを祈るばかりである。
主人も私も頑固者である。
生まれてくる子は男の子らしい。
お互い最終ひとつまで絞ったが、ここから双方譲り合わないのである。
主人の提示した名前は、音的にも可笑しくなく姓名判断でも最高運をマークする画数であったが、
私が納得できない理由はこの漢字が2つ揃うと男前でなければならないからだ。
それは我々の息子にはかわいそうだと判断。だが、夫婦2人、多数決ともいかない。
では、生まれてから我が子の顔を見たうえで、決めようと持ち越し。
結果、私の考えた名で出生届が受理された。
絶世の男前でなかったから(笑)でもあるが、
今回出産という大仕事を成し遂げたママをねぎらってパパが候補を退けてくれたのである。( 感謝・・・)
人と人との和を大切に、大地にしっかりと根をおろし、すっくと立って生きていく・・・
そんな子に育って欲しいからママはあなたをKと名づけました。
(パパの許可がおりれば、息子の名前を公開できるんですけど・・・
でもこの由来でバレちゃうかも)
パパとママから あなたへ最初の贈り物、気にいってくれるかしら?
娘は…僕のインスピレーション。
天から降ってきたの。
西梅田歩いてる時に(笑)
唯一のこだわりは、和風でおばあちゃんになっても可愛く違和感のないものってくらい。
でも、もちろん、うちも画数調べたよ。
社会でリーダーとなる資質はあるが婚期を逃すらしい(苦笑)
それを避けるために、音だけ残し、当て字で画数を合わせようとした時期もあったな。
でも、結局は娘は結婚して苗字変わるし、考えても無駄ちゃう?となり、当初の漢字に逆戻り。
人生は本人に切り開いてもらうことにしました☆
お腹にいるころから名前で呼びまくっていたので、嫁もそのままその名前でよい、と珍しくもめることなく決まったね。
息子は、嫁がどうしても音として「レン」がいいと。
しかし、僕にはそんな洋風なおじいちゃんになったとき違和感のある名前は嫌で。
これを解決したのが、僕のどうしても使いたかった漢字「蓮」がたまたま「レン」と読めたのと、漢字一文字で「れん」ではなく、そこから派生して和風アレンジしたのを、嫁が了承してくれたので決定。
画数はお姉ちゃんで無視したので、今回も無視。
調べたら、華やかさがなく、地味で堅実な人生らしいわ。
ま、人生に困るわけではなさそうなんでいいかと(笑)
うちはそんなわけで、ほぼ「好き」だけで命名だね♪
そう、私もおじいちゃん、おばあちゃんになってもってのは一応考慮に入れてます(笑)
最終的におじいちゃんがおばあちゃん顔になって、おばあちゃんがおじいちゃん顔になってしまう頃まではさすがにすくえなかったけど。
息子が生まれてから、もう何回名前を呼んだかわかりません・・・
名前の音は息子の細胞にしみこんでいることでしょう。
いつの頃からか、Kと呼ぶとふりかえるようになり、
返事もし、自分で自分の名を呼んで、
「K、する」と自己主張しまくっています。
もうKの中でKが自己になったこと、感慨深く・・・。
親が勝手に決めることができることって、
名前くらいしかないと思っています。
後は子供の人生。
だから、寝ても覚めてもあんなにもこだわったんだと思います。
何万回と呼ぶことになろう名前だから、
やはり好きが一番。インスピレーション、最高。
私もいつも何か答えを探すときは、
インスピレーション待ちです。
心の中でずっと念じていると、
ある日、驚きと共に舞い降りてくるものです。
劇団を立ち上げた時の名も、
このブログの話や題名もみんな、
次は何を書こうかな~って思っていると、
出てくる。
今、お盆休みで自由に書ける時間があるから
ちょくちょく更新できて嬉しい。
せっかく出産のことを書いたので、
突然、2歳に帰らず、赤ちゃん期と現在を絡めてしばらく書いていこうと思っています。
これまた振り返る時間が感慨深いわ。
あ、息子が起きた。残念。返信はここまで。
追伸。やまちゃむの奥様はほんと優しいね。