美術展に行った。
美術館での時の流れが好き。緊張感があるのに、ゆったりしていて。
画家の凝視した時間がその一枚に閉じこめられているからなのだろうか。
ふと、ここで生活すると年のとり方が遅くなるような気がする…
挑戦してみたくなる。絵画に向かい、そんな馬鹿なことを考えたりする。みる目はない。
その日も作品を前にいつも通り、ふ~ん、へぇ~、面白い、何これ…わからん、何か可愛いなどと順路を進んでいると、
あ、これ好き!な作品と出会い、
しばらく立ち止まって見ていると、後ろから声がした。
「本日は作家が会場におりますので、ご興味をもたれた作家にお話がきけますよ」と。
作家の解説付き鑑賞会!贅沢すぎる…ラッキー!
私はその巨大な抽象画の制作日数、道具、色、素材との出会いや動機となる思いを尋ねた。作家は丁寧に答える。
「本来、言葉で説明して伝えるものではありませんから、答えは全て絵の中にあります」
「僕は自分の名前や顔が残って欲しいのではない。作品が残ってくれればそれでいい」
いつしか私は鑑賞者としての質問から離れ、例え話とかこつけて演劇話を絡める。
「劇団の旗揚げ公演で、初めて作を担当したんですけど、第一作目、俺がおれ我と自分が前面にでた赤裸々な台本になってしまいました。現段階の自身の限界も知りました」
「第一作目は、そういうものです。とにかく書き続けることです」
「はい。…私、今回、演出を担当したんですけど、力不足で…色々な方のお力添えで…無事公演は行えたんですけど…どうしても自分の作品だという気持ちに曇りがでてきて…」公演後、私の心を占めていた憂鬱はこれ。
沢山の時間とお金をかけて望んだものを作れなかったこと。
確かに舞台を知らない私の演出より、知識経験のある方々のお力添えがあったからこそ、
作品の質は高くなったかもしれません…にもかかわらず、気持ちが晴れない。
舞台はみんなでつくるもの、自分の思い通りにはいかない。わかってはいる。ただ…ただ、私には、1つだけ、譲れない願い(演出)があった。
芝居の面白さやよしあしではなく、ただ、そうしたかった。私が、好きなのだ。
そこを説得する、納得させる力がなかった。叶わなかった。
彼は「僕は絵を教えているんですが、生徒さんの作品に手を加えません。加えると、
その作品は生徒さんのものでなくなるからです」私は何度も頷いた。
自分が好きで決めた事を最後までやり抜くことで、自分のものになるのですから。
芝居全体、カプチーノとして私の曇りは単なる私の我が儘かもしれない。
回想録でも正面きってなかなか言えなかったが…個人的に悔しかったのだ。
「すみません。絵画を前に演劇の話を持ち込みまして…」
「いえ、作家という点では同じですから」
晴れやかに「ありがとうございました」次回までに力を蓄えて…次回こそ、我が、ままに!!
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