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第1024話 演劇の必修化

2015年07月16日 05時17分19秒 | Weblog

「武道・ダンスの必修化」 

ニュースで見たのは、(調べてみると) 7年前にさかのぼる。

その時、どうして「演劇」じゃないの? と思ったものだ。

先日、久しぶりに舞台稽古を見に行き、7年前抱いた思いが蘇る。

今こそ、学校教育に「演劇」を! 以下、その理由・・・


1. コミュニケーション能力の育成

お芝居は、台詞のやり取りで成り立っている。

相手の台詞を受けて、自分の台詞を言う対話。

デジタルを介さない アナログな営みがある。


2. 思いやりの育成

受けるのは、台詞だけではない。

相手の思いをどこで受けるかで 見せ方も変わる。 

自分がどこに立つかだけでも

答える相手が横顔になったり、後ろ向きになったり、空間全体に影響を及ぼす。

相手のために (次に自分は) どうすればよいのかを考えなければならない。


3. 想像力の育成

役の気持ちを想像し、実践する。

自分ではない他の誰かの気持ちで 全身を満たす。

自分ではない誰か(役)を演じている間、

嫌いな自分でなくていいともいえるのではないか。

 

「ライオンキング」を観た後、息子に問う。

「Kもヤングシンバ(シンバの子ども時代) してみたいと思う?」

即 「いや、したくない」 の回答・・・

学校の授業内でする機会があれば、演じる楽しさにハマるかも?

主役でなくてもいい。 

端役含めて 色々な役があって、その一人ひとりが大切な存在であることも学ぶ。

第1021話で「いのちの授業」を願ったが、

こんな時代だからこそ「演劇」による人間力の育成を切に願う。




 

 

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第1023話 ライオンキング(3/10000)

2015年07月15日 05時04分55秒 | 観る(映画・ドラマ・アニメ・舞台)鑑賞

本日7月15日、

劇団四季のミュージカル「ライオンキング」(日本初演から通算) が10,000回達成。

10,000回目の公演は見に行けないが、

12日の日曜日に 3度目の「ライオンキング」を見に行く。

開演後3分で涙があふれ、

終演前3分でまた涙があふれ、落ちる「サークル・オブ・ライフ」


私は言葉で思いを綴っていくが、言語表現にできないことがある。

文字は重なると読めないので同時に提示することができないが、

歌には同時に届けることができる 調和がある。

ハーモニーの美しさに 音楽だからできることを味わう。

 

劇団四季は、事前にキャストを告知しない。

当日会場にて 本日のキャストがわかる仕掛け。

3度観に行ったが、いつ観ても同じ、

そのクオリティの高さこそ 「さすが 劇団四季」の不変を味わう。

役者は芝居をお客様と作るところがあり、

お客様の波動によって異なる芝居をする舞台もある。

舞台は生もの、それが悪いわけではないが、

変わらぬ というすごさもある。


「ライオンキング」 には 父と子の関係がある。

親から子へ 語り継がねばならぬ思い。

パパは口下手なので? 伝えきれないところをムファサに代弁していただく。

我が家にはない 父子を味わう。

大満足の舞台「ライオンキング」 またいつの日か 4回目のライオンキング。




 



 

 


 


 

 



 

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第1022話 また来年

2015年07月14日 02時50分48秒 | Weblog

杭全神社 平野郷夏祭り。

毎年 7月12日に 南港通りで行われる 九町合同曳行(だんじり9基が一斉に登場) と

7月13日に行われる 宮入。


12日の日曜日、南港通りにて息子と2人、

だんじりの登場を今か今かと待ちわびること約2時間、ついに だんじり登場。

鳴り物(二丁鉦の音) に気持ちが高揚する。

目の前を通るだんじりの美しいこと・・・あぁ、日本の夏。

 

だんじりは9基。 つまり、9つの町があるわけなのだが、

我が実家は、町内にあるわけではなく、その隣り。

近いがゆえに平野のだんじり祭りは、子どもの頃から見ているが、

言ってみれば、ずっとよそ者、外野席から・・・

土地に根ざした祭りへのさみしさもなきにしもあらず なのだが、

隣町の祭りといえど、

この日は実家に帰り、弟夫婦に会い、(興味のない主人を除いて) 

家族が一堂に揃う 真夏の夜の家族行事。


親が好きだと その子供もまた好きになるわけなのだが、

途中から参加した義理の妹の悟られない程度のやれやれ感がなんとも(笑)

同じ嫁いだ身として気持ちがわからぬでもないのだが、

ごめんね、これが我が家なの。 



  






 

 

 

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第1021話 いのちの授業

2015年07月11日 06時08分04秒 | Weblog

前話の流れから

もう少し いじめ について考えてみる。


担任の先生がいじめが行われていることを知り、

生徒に「いじめはやめましょう」と訴えたからといって

ピタッとおさまるとは思えない。

自分の もうひとつの顔を知られた加害者が抱く

被害者への逆恨みも気になるところだ。

いじめ という直接的な注意喚起より

命の大切さを語るという間接的な授業で

思いやりを育んでいただきたいと思う。


余命短い幼児に「命の不公平」を問われたら? 

の記事を読む。(小林公夫著)

「あなたが虚しく生きた今日は、

昨日亡くなった人があれほど生きたいと願った明日」

いじめ にまったく関係ない話だが、

命の尊さを感じる話から 生きていることのすばらしさを感じてもらう。

生命誕生から存在の奇跡を感じてもらうのもいいだろう。

自分の生い立ちを振り返り、綴ることで

ここまで大きくなるまでに どれほど多くの人の手(愛情)をかけて育ったのかを感じ、

自分以外の人間にも 同じように ある ことを想像して欲しいと思う。

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第1020話 伝える気持ちと伝わる思い

2015年07月10日 06時17分39秒 | Weblog

いじめによる自殺。

担任との「生活記録ノート」に記された思い。

思春期に 親に言えないことでも第三者になら言えることもあろう。

間接的な方がよいことも確かにあって、

気持ちを知るのに交換ノートという手もあるだろうが、

把握した内容によっては、直接本人と、または保護者と

どこかで会って(対面で)話をする機会を持たなかったのか が気になっている。


綴られた文字だけだと、どれほどの深刻さなのか伝わらないところがある。

この言葉は軽く発せられたものなのか、重い響きなのか、

心からの言葉なのか、たまたまそういう気分だったのか・・・

言葉だけで伝わる情報は少ない。 

だが、そこに視覚情報が加わると異なる。

伝える気持ち(言葉)と共に、伝わる思いを感じられるからだろう。


時に孤独を感じ、自分には味方がいないと思ったとき、

群集の中ではより色濃く孤独を感じ、辛いことであろうと思う。

最後の「明日からの研修」 は・・・と思う。

今となっては・・・なのだが、

借りにその言葉を選択したのであれば、一緒に、とか、そばに、とか、

そんな特別な自分の居場所が添えられてあったら・・・

と思わずにはいられない。


ノートの記録が途絶える前段階で

私であれば、この段階で生徒に声をかける。

この段階で親を呼び出すフレーズがあるように思うのだが・・・

生徒の深刻さもだが、先生の親身さもあの返信コメントだけだと把握できない。

すべてを間接的な媒体(携帯等)を通じて完了させるのではなく、

やはり直接会って話すことの重要さを思わずにはいられないのである。 





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第1019話 学童保育所の謎

2015年07月09日 02時51分40秒 | Weblog

もうすぐ 給食が終わる。

と同時に始まる長い長いお弁当持参生活・・・

無理はしないをモットーにキャラ弁にはしていないが、

息子のお弁当に入れる野菜だけは、冷凍食品ではないものにする(私のこだわり)

ため、朝から切ったり、茹でたり、炒めたり、

バタバタ生活の幕開けは近い。

私は土日の休日出勤も多々あるので、

1週間のうち6日もお弁当を作ることになると思うと気が重い。

給食がないことは、やむをえぬこととして、

私が疑問に思うのが、学童保育所の開始時間である。

 

基本、休日は休みなので 土曜日、長期休暇の平日の朝、

(市によって異なるかと思うがわが町は) 開所時間が8時半から なのである。

企業の始業時間が、9時からだとすると、

学童保育所から職場まで30分圏内でないと遅刻 というおかしな設定時間。

8時半開所は、パートタイマーにあわせているのか・・・?

正社員勤務としては、厳しい設定時間である。

約2カ月もの間、ずっと遅刻するわけにはいかず、

朝、開所時間前に 息子を保育所前で待たせて 職場に向かう。

たとえ保育士の方に 「朝は一緒に登所し、子どもを一人にしないでください」

と ご指摘を受けたとしても 連日の遅刻は勤務態度を疑われるので

子どもを置き去りに行かねばならぬ のである。

なぜ8時半?

閉所時間の早さ、開所時間の遅さ については、

就業時間や始業時間から 通勤時間を考慮し、もう少し適切な時間に設定してほしいものである。 

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第1018話 俳句な椀物

2015年07月07日 05時41分40秒 | 泊まる(ホテル・旅館)

2つ前の話(第1016話・夏越の祓)に戻るが、

いただいた京会席にて 

我が家全員が大絶賛した 栄えある(美味しい) ランキング第1位は・・・

お吸い物!

 

大量のかつお と 上質な昆布 の 深き味わい。

お魚と青菜と梅干も この味に一役買っているであろう。

この一滴のために どれだけの食材が投入されたか計り知れないが、

そんな凝縮を微塵にも出さない 透明度。

これを究極というべきか、至高というべきか(笑)

最初の一口、あまりの美味しさに目を見開き、

名残惜しくも いただくことを止めることもできず、

どんどんなくなっていくお吸い物、

憂いながらいただく最後の一口。  和食万歳!

 

余分なものは削ぎ落とし、上澄みだけをすくいあげる。

味噌汁が短歌だとすると、お吸い物は俳句である(笑)

またここに来たくなる・・・餌付けされた瞬間。

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第1017話 寂しさを微笑む

2015年07月06日 06時10分50秒 | Weblog

予定が狂い、急に「どこに行きたいのか?」と尋ねられ、

考えた挙句、「広隆寺」 と答える。

奈良の中宮寺で 初めて見た国宝 菩薩半跏思推像 の美しさ・・・

結婚し、子どもが産まれ、お寺を訪ねる ということもなかったが、

問われて、心から思い浮かんだ言葉が 広隆寺の木造弥勒菩薩半跏思推像

弥勒菩薩を前に

この微笑みにどうしてこんなに癒されるのだろう という思い(問い)

篠田桃江さん著の 「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」 にて

その翌日、答えが見つかる。

 

天地にわれ一人いて立つごとき この寂しさを君は微笑む (会津八一)

私は一人で天と地の間に立っている。この寂しさを観音様は微笑む・・・

 

そうか、私は 救いを求め、受け止めていただいたことに 救われたのだと

自分の心が欲するものは、決して偶然ではなく、

その時に必要なものであったからこそなのであろう。

桃田桃江さんの死生観と出会えたのも ありがたき偶然の出会い。(以下、抜粋)

 

人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。

現に、私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、

私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。

自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。

  (略)

人の領域でないことに、思いをめぐらせても真理に近づくことはできません。

それなら私は一切を考えず、

毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。

(この前後が気になる方は、幻冬舎の書籍をご拝読ください)

 

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第1016話 夏越の祓(なごしのはらえ)

2015年07月04日 20時22分05秒 | 泊まる(ホテル・旅館)

6月の30日(晦日)は、上半期最後の日。

一年の折り返し日に茅(ち)の輪をくぐる事によって、

半年間の汚れを祓い清めて無病息災を祈願する行事。

この日本の古きよき年中行事を知ったのは、

恥ずかしながら 昨日いただきました京会席にて。

 

初夏の前菜の飾りに、

夏越の祓、茅の輪を模した竹の輪に「蘇民将来子孫也」の紙札。

旬の食材を目でも味わう繊細な京会席の幕開けは、

そんな素敵な歳時記との出会いから・・・

最後の甘味菓子まで 涼 を感じる 見事な技に癒される

食材の色、器の色もさることながら 印象的だったのが、

お料理に添えられた 緑 (葉や菜・すべて種類が異なっていた) 。

目には青葉が映えていた

「京 YUNOHANA RESORT 翠泉」の京会席。(「ご馳走様でした」)

 

七夕も近いので、みんなで短冊を書いて 飾ることに。

家族みんなが・・・と書こうとしたところで 手がとまる。

族ってどう書くんだったっけ?

入力言葉に慣れた手は、旅しか思い出せず、涼を通り越して、

冷っとするではないか。

恐るべし 日々の生活習慣。

たまには、手を動かし、手をあわせることをしなければと思う 夏の夜。

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第1015話 戒め言葉(金地院)

2015年07月03日 06時56分11秒 | Weblog

まだいくか 京都・金地院 編。(三部作最終話)

 

鶴亀の庭。

亀の背にある木の移植に4年かかったという。

いきなり根元を断ち切ると、枯れてしまう。

成長した樹木を移植する際、

事前に根を一部切り落とし、活発な新しい根の生育を促す。

転じて、

物事を行う際に事前に関係者からの了承を得ておくことを 「根回し」 と言う。

 

猿猴捉月図。

猿が細い枝に捕まって、水面に映った月を獲ろうと手を伸ばすと・・・

落ちてしまう。

可愛い猿の図は、その行為の愚かさを説く 風刺画だった。

 

東照宮拝殿の「天井鳴龍」 (狩野探幽筆)

しゃがんで仰ぎ見た龍の愛らしさに また会いにくることを誓う。

家康の遺訓。

不自由を常と思えば不足なし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

 

次回訪ねた時はどの言葉が響くのだろう・・・その時々を楽しみたい。

 

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