那智勝浦町の加寿地蔵尊世話人会の中田さんから、秋の大祭が開かれます。という
お知らせを先日のブログのコメント欄にいただきまして、もうしばらくお参りもして
いないし行ってみようと思い日曜日、おとうさんと出かけました。腰を痛めたおばあ
ちゃんも誘って。おばあちゃんもマツタケ採りに行く前に、駿田峠を歩いて足ならしを
しておこう。。と思っていたんだけど、日曜日にマツタケのほうに先にお呼びがかかり
連れていってもらうんだから、そちらを優先し早朝から出かけていきました。まぁ
加寿地蔵までの道は草木が茂ることもなく、いつでも歩いていけるからまたの機会に
いたしましょう。
日曜日は晴天で 飲み物とカブ―の帽子ではないけど帽子を持って出かけました。
中田さんは『加寿姫伝説』の映画を撮影した映画村広場で いろいろな催し物もするの
でということも書いていました。前回、大祭を見学した時も餅まきやダンス・チーム
雅龍の演舞があり楽しく見させてもらった記憶があります。ワクワクしながらいつも
車を止める勝浦観光ホテルの駐車場(それも一段奥の第二駐車場)にむかいます。
私が加寿姫地蔵尊のことを知ったのがもう5年になるのでしょうか、勝浦の駅に設置
された小さなビデオ案内からでした。一階の待合所に置かれた案内ビデオはあとで知っ
たけど中田さんの手作りだということ、それから次男君が帰省するたびに勝浦駅で
「あぁちゃんと設置されている」と思い、次第に地方紙や観光案内所でも地蔵尊が
とりあげられるようになりました。記事では駿田峠の整備に世話人会はじめ地元の
かたの力で拓かれ、そうこうしているうちに加寿姫伝説の映画も立ちあげられ、見事に
脚本からキャスティング、衣装にロケ撮影、上映会と手作り感いっぱいの製作映画が
できあがりました。上映会に行った時には大勢の観客がつめかけ、一観客の私達夫婦も
感動を覚えました。駿田峠に続く道を歩きながらも「ここに来るのは久しぶりやね」
「もう何回来たかなぁ」と話しながら、辺りの風景に目をやるとどうも前に通った雰囲
気と違う感じです。最初は、ここだけかなという印象で写真を写さなかったので、いま
となっては 三年前の記事と比較するのに残念やなと反省をしました。
獣害除け?盗人除け?の電気柵
入り口から進んでいくと左側に大きな竹林があるのですが、まえから『私有地なので
竹の伐採、タケノコなどを採らないように』という立て札がありましたが、電気柵まで
は設置されていませんでした。「ここもイノシシとか出るんやね」と話しながら歩きま
したが、どうも峠道にも斜面にもイノシシが掘り返した跡など、シカのフンなどないの
です。もしかしたら獣害というよりも 電気柵は頭の黒い二本足の害のものかもしれま
せん。
2009年10月 整備された当時のもの
地蔵口の標識は残っていましたが、杖立ては崩壊し杖もありませんでした。
2009年10月 のぼり旗湧水場所
転がった丸太は伐採で出たものか、整備に使って残ったものなのか、忘れましたが
2012年10月 拡張した道路の丸太が欠損してます。のぼり旗もビリビリ・・・
どうやら歩くに従って、この道はもう整備されていないということがわかってきました
駿田峠、加寿姫地蔵尊にむかう道は国道のトンネルを抜けた(串本方面から来たら。
新宮方面だとトンネル横から入る)セメント工場に上がる道が、車で直接広場に行ける
ようになっているので、どうやらそちらを勧めているのかもしれない。だけど、私たち
の前に老婦人が5人ほどこの峠道を歩いて行ったのだ。たぶんこの近くの人たちなんだ
と思うけど、私達のあとからも歩いて上がってくる人が何人かいた。たぶん世話人会さ
んたちも高齢のかたが多いので、もうこの峠道の整備をできなくなったのかもしれない
し、役場から予算が降りたのかも・・・あ、でも無理かな、昨年の紀伊半島大水害で
那智勝浦町は甚大な被害にあったから、こちらの予算も先送りなのかもしれない。
いよいよ地蔵尊だと近づいたら、記憶の隅にあった登り口が変更になっていた。そうい
やここに来るまでの何ヶ所の音声案内はバッテリー切れなのか故障したのか、ボタンを
押しても答えてくれません。私はもしや心ない人がいたずらしたのか?と思ったけど
それも昨年の大雨で壊れてしまい、登り口もあまりに急すぎたので崩壊したのかも、
参られた人のためにもう少し安全な登り口にしたのかもしれません。
2009年10月
登り口前にある伝説にも出てくる古井戸ですが、ここも清掃されてはいませんでした。
やはり維持管理の面はきびしくなっているのかもしれません。残念です。
2012年10月 二本の木に渡されたしめ縄、ここから入ります
加寿姫坂
坂というより土階段になっています。道幅も前回よりは広くなっているように思います
でもやはり、上から降りる人がいれば立ち止まって譲り合います。
祠の前ではもう信者さんが集まられたようです
私達は 信仰信者というわけではないので信者さんを差し置いて、前には行けません。
前回同様なら祠の前には ござが敷かれその後ろの椅子には信者さんが座りあとは立っ
て大祭の進行を見守ります。階段を上がりながら頂上を見ると、もう人がいっぱいで
立錐の余地(あたしゃ いっすいの余地だと思ってたわ、りっすいなのね)もないって
感じです。
ごった返しているので到底 祠の前には行けそうもないので、この写真のリュックを背
負ったおばさんが立っている辺りに立つことになりました。ここは坂の終点で、すぐに
降りることもできる。世話人会さんらしい人が法被を着て立っていますが、中田さんは
いません。どうやら峠道を挟んだ映画村広場でイベントをしているのかも。もうすぐ
開催の10時ですが・・・。こちらの祠前には50人以上でしょうか、信者さんは
女性が大半で、なかには山ガール風な格好をした山おばさんたちも・・きっと熊野古道
散策のグループでしょう、こんなイベントがあると聞きやって来たのか「お参りして
次、行こ!」と話していました。
お知らせを先日のブログのコメント欄にいただきまして、もうしばらくお参りもして
いないし行ってみようと思い日曜日、おとうさんと出かけました。腰を痛めたおばあ
ちゃんも誘って。おばあちゃんもマツタケ採りに行く前に、駿田峠を歩いて足ならしを
しておこう。。と思っていたんだけど、日曜日にマツタケのほうに先にお呼びがかかり
連れていってもらうんだから、そちらを優先し早朝から出かけていきました。まぁ
加寿地蔵までの道は草木が茂ることもなく、いつでも歩いていけるからまたの機会に
いたしましょう。
日曜日は晴天で 飲み物とカブ―の帽子ではないけど帽子を持って出かけました。
中田さんは『加寿姫伝説』の映画を撮影した映画村広場で いろいろな催し物もするの
でということも書いていました。前回、大祭を見学した時も餅まきやダンス・チーム
雅龍の演舞があり楽しく見させてもらった記憶があります。ワクワクしながらいつも
車を止める勝浦観光ホテルの駐車場(それも一段奥の第二駐車場)にむかいます。
私が加寿姫地蔵尊のことを知ったのがもう5年になるのでしょうか、勝浦の駅に設置
された小さなビデオ案内からでした。一階の待合所に置かれた案内ビデオはあとで知っ
たけど中田さんの手作りだということ、それから次男君が帰省するたびに勝浦駅で
「あぁちゃんと設置されている」と思い、次第に地方紙や観光案内所でも地蔵尊が
とりあげられるようになりました。記事では駿田峠の整備に世話人会はじめ地元の
かたの力で拓かれ、そうこうしているうちに加寿姫伝説の映画も立ちあげられ、見事に
脚本からキャスティング、衣装にロケ撮影、上映会と手作り感いっぱいの製作映画が
できあがりました。上映会に行った時には大勢の観客がつめかけ、一観客の私達夫婦も
感動を覚えました。駿田峠に続く道を歩きながらも「ここに来るのは久しぶりやね」
「もう何回来たかなぁ」と話しながら、辺りの風景に目をやるとどうも前に通った雰囲
気と違う感じです。最初は、ここだけかなという印象で写真を写さなかったので、いま
となっては 三年前の記事と比較するのに残念やなと反省をしました。
獣害除け?盗人除け?の電気柵
入り口から進んでいくと左側に大きな竹林があるのですが、まえから『私有地なので
竹の伐採、タケノコなどを採らないように』という立て札がありましたが、電気柵まで
は設置されていませんでした。「ここもイノシシとか出るんやね」と話しながら歩きま
したが、どうも峠道にも斜面にもイノシシが掘り返した跡など、シカのフンなどないの
です。もしかしたら獣害というよりも 電気柵は頭の黒い二本足の害のものかもしれま
せん。
2009年10月 整備された当時のもの
地蔵口の標識は残っていましたが、杖立ては崩壊し杖もありませんでした。
2009年10月 のぼり旗湧水場所
転がった丸太は伐採で出たものか、整備に使って残ったものなのか、忘れましたが
2012年10月 拡張した道路の丸太が欠損してます。のぼり旗もビリビリ・・・
どうやら歩くに従って、この道はもう整備されていないということがわかってきました
駿田峠、加寿姫地蔵尊にむかう道は国道のトンネルを抜けた(串本方面から来たら。
新宮方面だとトンネル横から入る)セメント工場に上がる道が、車で直接広場に行ける
ようになっているので、どうやらそちらを勧めているのかもしれない。だけど、私たち
の前に老婦人が5人ほどこの峠道を歩いて行ったのだ。たぶんこの近くの人たちなんだ
と思うけど、私達のあとからも歩いて上がってくる人が何人かいた。たぶん世話人会さ
んたちも高齢のかたが多いので、もうこの峠道の整備をできなくなったのかもしれない
し、役場から予算が降りたのかも・・・あ、でも無理かな、昨年の紀伊半島大水害で
那智勝浦町は甚大な被害にあったから、こちらの予算も先送りなのかもしれない。
いよいよ地蔵尊だと近づいたら、記憶の隅にあった登り口が変更になっていた。そうい
やここに来るまでの何ヶ所の音声案内はバッテリー切れなのか故障したのか、ボタンを
押しても答えてくれません。私はもしや心ない人がいたずらしたのか?と思ったけど
それも昨年の大雨で壊れてしまい、登り口もあまりに急すぎたので崩壊したのかも、
参られた人のためにもう少し安全な登り口にしたのかもしれません。
2009年10月
登り口前にある伝説にも出てくる古井戸ですが、ここも清掃されてはいませんでした。
やはり維持管理の面はきびしくなっているのかもしれません。残念です。
2012年10月 二本の木に渡されたしめ縄、ここから入ります
加寿姫坂
坂というより土階段になっています。道幅も前回よりは広くなっているように思います
でもやはり、上から降りる人がいれば立ち止まって譲り合います。
祠の前ではもう信者さんが集まられたようです
私達は 信仰信者というわけではないので信者さんを差し置いて、前には行けません。
前回同様なら祠の前には ござが敷かれその後ろの椅子には信者さんが座りあとは立っ
て大祭の進行を見守ります。階段を上がりながら頂上を見ると、もう人がいっぱいで
立錐の余地(あたしゃ いっすいの余地だと思ってたわ、りっすいなのね)もないって
感じです。
ごった返しているので到底 祠の前には行けそうもないので、この写真のリュックを背
負ったおばさんが立っている辺りに立つことになりました。ここは坂の終点で、すぐに
降りることもできる。世話人会さんらしい人が法被を着て立っていますが、中田さんは
いません。どうやら峠道を挟んだ映画村広場でイベントをしているのかも。もうすぐ
開催の10時ですが・・・。こちらの祠前には50人以上でしょうか、信者さんは
女性が大半で、なかには山ガール風な格好をした山おばさんたちも・・きっと熊野古道
散策のグループでしょう、こんなイベントがあると聞きやって来たのか「お参りして
次、行こ!」と話していました。