デザイン誌「RAT50」発行されました。
私も寄稿させてもらっていて、テーマは「散歩」
いろんなことを思い出しながら書きました。
コロナ禍の中で、娘達との散歩は私に沢山の気づきをくれました。
ありがたいことです。
RAT50 散歩
散歩。子供の頃には、良さがわからなかった。どうにもせっかちで、じっとしていられない子供だった私。のんびりしているのが大嫌いだった。寸暇を惜しんで動き回り、何事かをなそうと必死だった。
大きくなっても変わらなかった。寝る間を惜しんで何ものかになろうと空回りし、自分の限界に挑戦した。本当の自分を隠して虚勢を張り、とにかく人より努力をすれば何とかなると思っていた。
妻と出会い、感情のままに自然に振る舞う様子を見て、自分とのあまりの違いに、ぶん殴られたような衝撃を受けた。妻を見ているうちに、少しだけ足元を見ることが出来るようになっていた。
娘が産まれ、歩けることの素晴らしさを知った。ゆっくり歩くことで見える景色を学んだ。娘を育てているはずが、たくさんの学びや気づきが私にもたらされていた。
上の娘がまだ小さくて、両手を引かないと歩けなかった頃から、目線が低い娘と一緒に、ゆっくりゆっくり。些細な段差や凸凹にも目を配り、道にある素敵を探して歩く。
歩けることの喜びを噛みしめながら、風を受け、様々に変わる景色の中を、歩く。
最近は、通学に慣れない娘に付き添い、朝に長女と一緒に通勤したりする。一緒に歩くと新しい発見がある。その気づきは私にとって財産になっているような気がしている。
下の娘と一緒の夕方の散歩もいい。
新型コロナウイルス対策で学校がなかった頃、娘のストレス解消のために日課にしていた。頑張って早く帰宅して、娘が行きたいところに行こうと誘う。好きなように歩いたり、自転車で行く。気分次第で1時間くらい。なんだか楽しい。子どもならではの発想や感動に巻き込まれながら、明日はどうしようかとワクワクしている笑顔に癒される。あの時間はプライスレス。素敵な時間だったように思う。
散歩をする楽しみ、わたしは子供達に教えてもらったような気がする。それ以前に散歩を楽しむための生き方は妻が教えてくれたように思う。
散歩は、私にたくさんのものを運んできてくれた。本当に大きな気づきを私にくれた。これからはゆっくり散歩をしよう。たまには妻と二人で散歩もいいな。あと少ししたら、子供たちも忙しくなるだろうから、楽しみに待つとしよう。
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