昨日の夕方は、別な大学の公開講座に出席しました。「 団塊世代と 『4つの縁』 :血縁・地縁・友縁・職縁-会社社会と家庭・地域- 」 というタイトルの講座です。これは、団塊の世代が現役引退の時期を迎えるので、その人たちのための7回にわたる講座の一つです。一回ごとにたとえば年金の話などと、扱うものが違います。
私は、すでに退職していますが、生活していてなにかと関わりがある、この 「縁」 について、なにか勉強になることがあるかと思って、今回だけ希望して出てみました。
講座のレジュメ(レジメ)
人間は四つの縁、つまり、血縁・地縁・友縁・職縁というの中で生きているのだそうです。その中で、職縁とはあとわずかで切れていくわけ。私は切れちゃったけど。
すると、職場を通しての友達がほとんどなので、友達との縁も、まあせいぜい3年くらいで遠のいていくというわけ。
血縁は、夫婦の関係もだんだん重要度が希薄になり 、むしろ互いに離れていく。 子供たちも独立して離れていく。となると血縁も遠のき気味。
残る 地縁は、仕事第一で、地域との結びつきが希薄になってきている現代のおとうさんたちは、よほどのことが無ければ、いまさら濃い縁が結ばれるわけではない。
とすると、この四つの縁はどれも遠のく。つまり 無縁 となってしまうということです。 そういう事実をふまえた上で何ができるかとうことでした。
答えは一部は NPO が役割の一部を担うなどと、少しは教えてくれましたが、そうは簡単には出ません。社会というものをどのように分類や分析して理解していったらよいか、どのように変わってきたか・変わっていくか、どのように参加できるか、男と女の感じ方やそれぞれの社会の違い、などなどを数多く例示して、「 会社以外の社会はこうなんだからね、よく自覚して生きて行きなさいよ。」 ということです。
ここでは触れられないほかのことも教えてくれました。すべて、「 なるほど、なるほど 」 と、一つひとつの答えに至るヒントのようなものを感じ取ることができました。今まで、考えもしなかったことを聞かされて、「 あっそうか 」 の連続。メモも取り間に合わないくらいでした。
最後に、どうして 縁 なのかと言いますと、人間というのは他の動物と違って、生まれてきてすぐに一人では生きられない劣等な生き物なので、自然に適合するというだけでなく、自分に都合の良い環境を選んだのだとか。それを第2の自然と言い、社会をつくるという特異な形態を生み出したのだそうです。その社会との関わりが 縁 ということになるということです。
キビが実ってきたのですが、キジが体をぶっつけて倒し食べてしまうのです。「 ワー、キジだ。」 なんて喜んでもいられないんですよ。まあ、少しは分けてやってもいいですけどね。
先日紹介したカヤツリソウと並んで、今年猛威をふるっている スベリヒユ という雑草。これは抜いて置いても、いつまでも生きています。体内に水分を蓄えていますからね。まるで観葉植物です。で、この雑草をお浸しにして食べる地域があるそうです。
ゴーヤが棚にはい上がらずに、となりのオシロイバナにからんでしまいました。お化けみたいです。この茂みの中で、発見されずに黄色くなって行くものがけっこうあるんですよ。ゴーヤの実は赤いゼリーにくるまれて甘いんです。