藁をもらう

2006年09月22日 | Weblog



    黄色いでしょう


    トレニア


稲刈りの真っ最中です。早い人は8月の末頃から始まっています。あっちでも、こっちでもコンバインの音が聞こえます。今は、刈り取った米はコンバインの中にためて置いて煙突のようなところから、トラックに吐き出すことができます。

トラックは、その米を家に持っていって乾燥機に直接入れられるのだとか。なので、刈り取った時点では、布の袋に入れてそれを積み卸したりする労力はかけずに済むそうです。楽になりました。その代わり、このコンバインは、なんでも300万円もするとか。ヒャーッ。すごい。


         
       手前は私の畑の青シソと赤シソ  その向こうがゴボウに失敗した他人の畑

わが家の畑の前の方の田んぼです。ここの田んぼの持ち主の孫さんが刈っています。彼は、お祭りの時に山車に乗って舞いをやります。おとなしくて働き者のいわゆる良い奴です。

         

その田んぼから藁をもらうことにしてありました。藁は普通は上の写真のようにチップになってしまいます。この方が集めて燃やし易いし、何かと扱い易いのでしょう。長いと始末するにはやりにくいですから。

昨年、公民館の一斉清掃の時に、たまたまこの田んぼの持ち主のジイさんと、お茶の時間に隣りに座ったのがきっかけで、藁をもらうことになりました。昨年は、なんとおよそ50年ぶりに藁束をつくりをしましたよ。子供の頃に手伝ったとき以来です。でも、やりかたは覚えていましたね。

         


三つ子の魂、、、、とは、こういう場合には使って良いのかな。使えない、つかえない。これは気質とか性質のことを言うんでしょうね。それより、昔とった杵柄(きねづか)が良いようですね。

ところで、ざっとこんな風にチップにしなかった、長いままの藁が残されていました。これを集めて、大束にまるきます(束ねます)。これはかなりの運動ですよ。汗がでます。急いでやったら息が切れます。帰りはきれません。分かるかなー?

         

軽トラに軽く2台分ほど運んできました。手で刈り取ったものでないので、切り口に藁の袴がだらしなく付いたままでいます。一通りは自分の腹にぶっつけながら切り口を揃えたのですが、腰砕けになって、きれいにはそろえることができませんでした。

まだまだ田んぼには残っています。この3~4倍くらいは運ぶようになるでしょう。ことしは沢山もらって、畑の空いているところに敷き詰めて見ようと思ってます。雑草の生え方がかなり違うのではないかと思っています。これはテストです。ダメなら次からは止めます。敷き詰めるには薄くては効果がないので、ある程度は厚めに敷くようになるでしょうから、たくさんもらう必要があります。一日に2~3時間くらいしかこの仕事はやりませんから、あと3~4日くらいはかかるかもしれません。


                                           
  憂きことを思い連ねて雁がねの 哭きこそ渡れ秋の夜な夜な   凡河内躬恒
                                        (おうしこうちのみつね)