深田久弥という登山家の書いた本に「日本百名山」というのがありますが、その中に誰でも古里にそれぞれの山を持っていて、彼の場合は白山だというようなことが書いてありました。私の場合は筑波山です。
短大の公開講座で、筑波にある筑波山を詠んだ歌碑を見て回ろうという企画があったので、参加しました。
正面のきれいな女性が先生です
こんな具合で見て回りました。先生は歌碑のところで説明をしてくれました。
雨で泥がはねあがっています
筑波嶺を よそのみ見つつ ありかねて 雪消(ゆきげ)の道を なづみ来(け)るかも
( 名高い筑波の嶺をよそ目にばかり見ていられなくて、雪解けの道に足をとられながら、やっと今この頂にたどりついた。 新潮古典集成 萬葉集 一 から )
歌碑は筑波山周辺にあちこちあるのですが、大型バスではとても入って行けないようなところにあるものが多いので、そういうところは残念ですが行けませんでした。
最後は筑波山にある筑波山神社です。ここにも歌碑がいくつかありました。
ここのははっきり読めました
脇に解説がついていました
とまあ、バスの中でいろいろ先生が説明をしてくれました。先生は筑波大出身だそうですが、昼食時間の調整のためにちょっと筑波大学に寄ってみました。本部の近くに図書館がありましたが、これが一般にも開放されているとか。しかも駐車場付きです。本は東大についで多いとか。私にとって、これは楽しみですねー。
奈良時代に朝廷からの命令で、それぞれの国が風土記を作りましたが、現存するのは5つくらいだそうで、常陸風土記は90%以上が欠けずに残っているので、このあたりの昔のことがよく分かります。
その中にある話を一つ。ある神様が旅をしていて、富士山に一夜の宿を乞うと、新嘗 ( にいなめ ) の夜だからだめだと言います。次に筑波山にくると、新嘗だけれどどうぞと歓待してくれたとか。それで筑波山には人が憩う楽しい山にしてくれたとか。
また、筑波山は連歌にも関係しています。ヤマトタケルの東征で、常陸の国から帰る途中、諏訪湖の近く酒折宮 ( さかおりのみや ) まで来たある夜のこと
新治(にいはり)筑波をすぎて 幾夜か寝つる ( 新治は地名)
と火炊きのジイ様に聞くと、そのジイ様は
かがなべて 日には九日夜には十日を
と答えたそうです。要するに日数をかぞえると9泊10日したということです。それで、この問答が連歌の始まりということで、連歌のことを 筑波の道 と言うそうです。
とまあ、そんなこんなで百姓は全くやらずに、大工さんは奥さんにまかせて、秋晴れの楽しい一日を過ごしてきました。