倒木に思う

2019年09月24日 | Weblog


まだ残りがあるとは言え、夏の荒っぽい季節が過ぎかかっていて、やっと私が好きなシックな秋が目の前まで来ているような感じがします。
若い頃は、夏のその荒っぽさが好きでした。

  
     義兄夫妻の入っているクラブの写真展に行って来ました

今は人生の秋でもあるし、やっぱり秋が良いですね。

    月みれば千々(
ちぢ)にものこそ悲しけれ
                           わが身一つの秋にはあらねど       大江千里

と言う歌がありますが、千々にものこそ悲しいのではなく、ものこそ「思いけれ」です。
あれやこれや、思い回らすのが楽しい。実に楽しいものです。

  
    何の芽だったか忘れました

話は変わりますが、台風の被害にあった千葉県では、ニュースを見ていると次々といろいろな事が分かってきているようです。
停電している地域を急いで無くそうと思っても、倒木が邪魔をして復旧しにくいそうです。
その間に、熱中症にかかってしまう年寄りがいたり。
現代の文明も、あやういバランスの上に成り立っているものなのだなと思います。

  

東日本のあの大地震の時も、我が家の付近は長い間、停電をしていました。幸い3月だったので、熱中症にかかる人は居なかったです。
が、断水には困りましたね。私はとっさに思い付いて、まだ細々と出ていた水道から時間をかけて40リットルの水を溜め、その上に処分せずに残っていたペットボトルの大瓶に20~30本ほど水を溜めておいて少しずつ使いました。
ご飯は、移動できる竈があったし、燃料は山ほどありました。そのカマドは干し芋を作った時のカマドです。

  
        山里の風景

立木の管理は、普段は行っていませんね。電力会社でも特に何も無ければ、電線に触れるようなもので無ければ伐採は出来ないでしょうし。
どの山林も誰かの所有地になっていますからね。

  
       千波湖

もろい、危ないバランス上の現代文明。全体を考え直す気持は当該機関にあるでしょうか。
あったとしても、切りがないほどでしょうね。それに、実行はさらに大変です。