歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「蕎麦」は「啜って」音を「立てて」食すべし!

2007年05月18日 | 食事の話し
昨日の続きです。

「千波大橋」を渡った先の交差点を直進して、カーブする坂を登り切った処に、「藤田東湖生誕の地」がありました。


駐車場の入り口脇に「ひっそり」と「ちっちゃな」「東湖さん」が立っています。
この方、調べると「かなりエライ方」のようです。

1806年5月4日に生まれて、1855年11月11日に亡くなられています。
「政治家」とか、「学者」とか、「思想家」とか説明されています。藩主「斉昭」の「懐刀」だったようです。

水戸学の大家で、幕末の「尊皇志士」の「思想的リーダー」だったようです。幕藩体制を支える立場の「水戸徳川家」は、「水戸学」という「思想」で「幕藩体制」崩壊の手助けをしたようです。

「体制内改革派」でいたつもりが、いつしか「体制改革派」に「意識的」に加担していたと思われます。

「水戸黄門」も面白いですが、「水戸徳川家」はもっと「面白い」かも知れません。 



それと、「東湖さん」が亡くなった、西暦の1855年11月11日は、旧暦の安政2年10月2日で、この日、「安政の大地震」が発生したのです。

東湖は水戸藩の「江戸藩邸」で仕事をしていために、地震に遭遇し、落ちてきた「梁」から「母」を守る為に、自分の肩で受け止め、母を脱出させ自分は力尽き下敷きとなって圧死したそうです・・・・・・、享年50歳。


「東湖さん」の像を眺めて、路地を左折して「ウロキョロ」と走っていると、「京成百貨店」の脇にでました。何か「新しそう」なお店です。この日は「休業日」でした。

通りの向こうに「水戸芸術館」の「シンボルタワー」が見えました。「このタワー」は、NHK朝のニュース番で、茨城と云うと「必ず」出てきます。

NHK水戸放送局の窓から撮っているのでしょう。近くで見ると「かなりインパクト」があります。異様に輝いています。これが「芸術」何でしょうね。


脇を見ると、「そば屋」らしくない「洒落た感じ」の「そば屋」が眼に入りました。「蕎麦屋」ではなく、「蕎麦処」の文字に「ポリシー」を込めているようです。あまり「込め過ぎると」と、客として「迷惑」ですけどね。


入り口に置かれた「ランチメニュー」を見て、迷わず店に入りました。


喫茶店のような雰囲気の造りになっています。1時を少し回っていた為に、1組3人の客だけでした。ご主人が「私に」出す水を、「ゆっくりと落ち着いた動作」でコップに注いでいます。

こちらは「奥さん」でしょう。
始めてです、そば屋さん「らしくない」店に入ったのは、「キョロキョロ」してしまいました。開店して間もないようです。


たのんだのは「勿論」、「ボリュームセット 850円」の「ミニ天丼セット」です。


これです。「天ぶら」は「カラット」揚がっていました。タレもいい具合の甘辛さでした。「そば」も「香り」と「コシ」があり、太さ、茹で加減も「OK」でした。

ただ残念なのは「ボリューム不足」でした。しかし、これは「私の胃袋」の問題かも・・・・・・知れません。


それと、後から入って来たこの「お嬢さん」なんですが、「そば」を「啜らない」で、「無音」で「口に押し込んで」いました。音を出すのを躊躇っているのです。

いつから「こんな事」になってしまったのでしょうか? これも「グローバルスタンダード」の「弊害」ではないかと思います。

この「尊皇攘夷」の水戸の地においても、伝統的食事作法が「外国文化」により、「抹殺」され始めているのです。「東湖さん」が見たらも「嘆き悲しむ」かも知れません。

いゃ!待てよ! 音を出して「茶漬け」を食べたり、蕎麦を啜るのは「庶民文化」であって、上級武士の「文化」とは「異質」なのかも・・・・・・知れませんね。

まぁ。兎に角、「そば」は「音を出し」て、「啜るべき」だと「おじさん」は「強く強く」主張します。

興奮してしまい失礼しました。

この続きは明日また。失礼しました・・・・・・
コメント
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