歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

赤羽の戦後復興は最近でした!?

2007年06月21日 | 東京の風景
東京に行って来ました。

今回の目的は、あの「ちゃんこ七ツ海」です。昨日行く筈だったのですが、念のため「休業日」を確認したところ、火・水曜が連休になっていたのです。

そして、今日、満を持しての東京行きです。家を出たのが10時過ぎでした。
七ツ海の営業時間が5時からなのですが、七ツ海だけでは「もったいない」ので、赤羽付近を歩き、それから、立石に向かう計画です。

日暮里駅で京浜東北に乗り換えです。ホームに着いて数分後に山手線が到着して、その数分後に、京浜東北の快速電車が通過して行きました。「何か変だ」と思いました。

「快速が走っているわけね」と思い、今度来る電車はきっと停車するんだろうと、ボンヤリと待っていました。ホームの京浜東北側には人影が有りません。


電車を待ちながら、目の前壁を眺め「なかなかイイねェ~、苔のような雑草の生え具合が風情ですねェ~。この古いレールの柱が、また何とも堪らないですねェ・・・・・・」何て、のんびり電車を待っていました。

すると、『只今の時間、すべて京浜東北線は快速運転をしております。当駅には停車致しません。京浜東北線ご利用のお客様は、田端まで山手線をお乗りになり、田端駅で京浜東北線にお乗り換え下さい』とのアナウンスが流れました。

えっ!何それ。「快速」が走っているのは知っていましたが、常磐線や京成線の乗り換え駅である日暮里は、当然、快速の停車駅だと思っていたのです。日暮里はメジャーな駅ではなかったのです。

急がない暇人ですから、1本乗り過ごしても問題ありません。立ち喰いそば屋の写真など撮って時間潰しです。


階段下に有り、線路に面して入り口が有りません。窓の無い「穴蔵」のような目立たない店です。昼少し前の時間ですが、おじさんが一人そばを啜っていました。

山手線に乗り、田端で向かいのホームに停車している、京浜東北線の電車にダッシュで乗り移りました。年寄りにはムリな乗り換えです。

王子、飛鳥山下の散策路には「紫陽花」が路にそって咲いていました。この路は以前に歩いたことがあります。なかなか結構な路です。


赤羽駅です。高校生の時から、20数年利用していた駅です。

東京を離れて20年近くになりますが、赤羽駅は「マッタク!」以前の面影の「カケラ」もありません。去年も来ましたが、それでもやっばり別世界です。


どうして?こんなに?「近代的」な街に変身してしまったのでしょうか?
西口の駅前には高層マンションが建ちましたが、それほど周囲の人口が増えた様には思えません。こんなに「お金」を掛けて「立派」にして大丈夫?

駅の北側にある「赤羽台団地」「桐ヶ丘団地」では、人口減少で中学校の統廃合が行われていると云うのに・・・・・・。

思い当たる事は、高度成長で東京が生まれ変わった時、東京の端っこで、ほとんど埼玉県といった場所の「赤羽」は、取り残されていたのでしょう。そして、やっと順番が回ってきた?

駅前のバスターミナルからは「埼玉県」に向かうバスが沢山発着しています。赤羽は埼玉県民の通過駅で、これは勝手な推測ですが、昔から、商店街の客の半分は埼玉県民?のような「気が」していました。

それなりの「ターミナル駅」としては、開発が「最後の最後」に回され、高度成長の恩恵を最後に享受した町だったのかもしれません。線路の高架化をキッカケに変身しました。

でも、あの「汚くて」、「ゴチャゴチャ」した赤羽が懐かしいです。遮断機が上がり始めるなり、両側から向かい合って一斉に突進する人と車、凄いエネルギーでした。

ここだけは昔とまったく変わりません。

昔はそれほど気にも留めなかった教会ですが、いまでは、「教会」のある「風景」も「なかなかイイ物だ」と感じるようになりました。

歳をとり、肉体が老いて変化をすると、変化しないものに「憧れ」る?

変化しないものから、変化する前の昔の姿が見えてくるとか?

古いものは好きですが、古いものを残すのは「何となく」スッキリしません。古いものはいつかは消えていく・・・・・・・そんな儚いとこに惹かれるのです。

やっぱり、「諸行無常」です・・・・・・。


それではまた明日。
コメント (1)
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