歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

赤羽 取り残された「1番街」

2007年06月28日 | 東京の風景
昨日の続きです。

昔、駅前の大踏切があった高架下を通って、東口にの駅前広場に戻りました。

先ず、駅前の「1番街」を歩きます。名前の通りここは「昔」赤羽で一番賑やかな商店街だったのです。

そうなのです。今は3番?か4番?ぐらいに後退しています。

「駅前発展順番の法則」です。東口よりも、最近になって再開発された西口に大型店が進出したためです。

それと、昔から、西口の後背地に人口が集中していました。公団の赤羽台団地、建設当時は都内最大だった、都営の桐ヶ丘団地の二つの大きな団地がありました。

西口再開発前は、東口の商店街で買い物をしていたのですが、現在は西口の大型店で買い物をしているようです。



店は、新旧の出入りがあり、かなり店名も変わっていますが、建物自体はそのままで、全体の佇まいは昔のままです。商店組合にはアーケードを設置する予算もないようです。

しかし、ここ居酒屋「まるます家」だけは「昔のまま」の佇まいで、そして「昔と変わらず」元気です。

真っ昼間から、混雑していました。今の時間、工場等の「交代勤務明け」のお客さんで、賑わっているようです。

小学生の頃、店先で「鯉を捌く様子」を人垣の中で飽きもせず、いつまでも眺めていた事を想い出します。

この「練り物屋さん」も変わりませんね。夏日のなか「おでん」が湯気を上げていました。「暑い時こそおでん!」何て云って、汗を拭き拭き食べる「通」がいるのでしょう。


懐かしいです!この「おもちゃ屋さん」でいろいろ買ってもらいました。ここも昔のままです。


一番街から、「スズラン通り」に向かいました。ここは駅から距離が有るために、一番街に負けていたのですが、西口からの客はあまり来なかったので、西口再開発の影響は少なかったようです。

それに、西口再開発が始まる前に、ダイエーと西友が進出して来た事で、客を繋ぎ止めているようです。

「スズラン通り」から「LaLaガーデン」に生まれ変わっていました。アーケードも設置され「WELCOME」です。


緑の植物が眼に涼しいです。1番街に大きく水をあけたようです。和食の「いけ増」も、改装され明るく小綺麗に変身していました。


暑いので、避暑地にダイエーを選びました。

東口の奥まった処にダイエーの大型店が開店した時は、スゴイ!赤羽にデパートが出来た!と喜びました。

当時は周囲の商店と違い、店は広く、天井は高く、店内は明るく、何もかもがピカピカに見えたのです。ホントにデパートと思っていたのです。多分、高校生の頃だったと思います。


しかし、店内に入ると狭く、天井は低く、店内は薄暗く、商品も寂しそうに見えました。あれから、30数年の時が経っているのです。

ダイエーもあの頃は「絶頂期」でした。今は「再建途上」にあります。中内功さんも2年前に亡くなりました。

栄枯盛衰、生者必滅でしょうか・・・・・・。

暫く、店内のベンチに腰掛け休憩です。


それではまた明日。


コメント (2)
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