最近は妙なものが流行っておりますね。人間の身体をばらばらにする、なんていう猟奇的なことが。あんまりこれまでこの国ではなかったタイプの事件ではないでしょうか? 確かに死体を動かしたり隠したりするのにばらばらに解体するのは理にかなった行為と言えなくも無いのですが、そもそも死体に刃物の類を当てて切断する、ということ自体が、非常な抵抗を覚える仕事でしょう。すでに我々の周辺から鶏を絞めたり獣を解体したりするような光景が無くなって幾久しく、最近では魚をさばくのさえめったにやらない人が増えて、肉や魚というとスーパーで発泡スチロール容器に切り身で収まっているのしか知らない人だって少なくない今日、よくそんなことを実際にやり遂げたものです。その光景を夢に見たりしないのでしょうか? 殺人という行為で頭がいっぱいになって感覚が麻痺でもしていたのでなければ、到底やり遂げられそうに無いと私などは思ってしまいます。実はこれが日本人の心を蝕んでいる何かの現実的な現われなのかもしれませんし、あるいは戦後の食生活の激変とか、蔓延する化学物質とかが、日本人の脳などに影響していたりするのかもしれません。その点についてだれか疑問を呈したりする専門家はいないのでしょうか? ゲーム脳などというものについても、しかるべく専門的な調査を断行すれば、見えてくるものもあるでしょうに、それが異常な犯罪のことならもっと真剣に考えてもいいような気がするのですが、農薬や環境ホルモンなど外的なものには過剰に反応するのと同様に、、自分達自身が、実は先祖達と違ってきているかもしれない、という可能性を考えるべきではないかと私は考えます。無論杞憂に終わればそれに越したことも無いのですが、それも調べてみないことには判らないのではないでしょうか? この間から立て続けに死刑執行も行なわれていますけど、やっぱりただ死なせて埋葬するくらいなら、後学のためにその死体を解剖し、標本として保存すべきだと思うのです。
物語なら「また死神の仕業か!」と一言うなっていれば済むような話でも、現実となるともう薄気味悪さしかなく、ひょっとしてこれが戦後教育の最たる成果なのかも、と思うに付け、やりきれなさでいっぱいになります。現内閣は「美しい国」を目指すとの事ですが、かくも荒廃した人の心を美しく導くのは、もう言葉や教育などの力だけでは不可能なのかもしれません。そろそろ心と身体を別物として考える二元論的な発想とは異なる考え方をしてみてもいいんじゃないかと思います。
物語なら「また死神の仕業か!」と一言うなっていれば済むような話でも、現実となるともう薄気味悪さしかなく、ひょっとしてこれが戦後教育の最たる成果なのかも、と思うに付け、やりきれなさでいっぱいになります。現内閣は「美しい国」を目指すとの事ですが、かくも荒廃した人の心を美しく導くのは、もう言葉や教育などの力だけでは不可能なのかもしれません。そろそろ心と身体を別物として考える二元論的な発想とは異なる考え方をしてみてもいいんじゃないかと思います。