今日は朝から、というより昨夜未明からずっと雨、天気予報では昼にはあがるようなことを言っていたようにも思ったのですが、結果は夕方までずっと降り続き、帰りもまだポツリポツリと雨粒が思い出したように落ちてくる、そんな天気に終始しました。霧も出てところによっては昼間でも視界がぐっと落ちて車で走ると結構ぞっとさせられます。黒い服を着た人なんかほとんど背景に溶け込んで間近に来るまで認識できませんし。多分濡れていっても気にならない春雨、というのはこういうしっぽりとした雨のことを言うのでしょう。しつこいですが、まだ1月中旬、なんですけどね。旧暦ならともかく、新暦の1月としては異例の暖かい毎日です。
さて、ブログというのは、一日のうちで何か思いついたときに、今日はこれをネタに書こう! などと一応は思ってみるものなのですが、さてこうしてモニターを前にキーボードをたたき始めると、たいていの場合思いついたネタを忘れてしまうことが多いみたいです。たとえば昨日は久々に見た「遠山の金さん」で、松平建扮する金さんがどうも違和感があって、それは松平建=暴れん坊将軍、、金さん=中村梅之助or杉良太郎、という強烈な刷り込みが私の中にあるからなのだろう、という話を書くつもりでいたのですが、そのこと自体をすっかり忘れて別のことを書いてしまいました。ああ、そういえば松方弘樹の金さんもどうも違和感があってしょうがなかったですね。
それはともかく、たまには朝から考えていたネタでいこうかと思ったのですが、今日、1月17日といえばやはり忘れてならないのは阪神大震災の記憶、というわけで、実はつい先日までそのことをすっかり忘れており、何で最近新聞が地震の特集をしているんだろう? などと首をかしげる体たらく、たまには新聞もこういう忘れてはならないことを思い出すよすがとして役に立ってくれているのだな、と見直したりいたしました。
で、昨年は何を書いたかな? と過去の日記を紐解いてみたら、ん?何も書いてない。昨年の今日は宮崎勤死刑判決確定の話。一日前は風邪を引いてマスクしっぱなし、という、ああ、このころから具合が悪かったんだな、などと再認識させられたような記事、一日後はキャベツが肺がんリスクを下げる、という話。おかしい、記憶では確かに地震のことを書いたはずなのに、と思って一昨年の今日の日記を見てみましたら、ああ、ここにはちゃんと書いてありました。震災10周年の記事ということで、あの地震のときの記憶を記録していたんですね。昨年は何も書いてなかったとは、ちょっと自分でも驚いてしまいました。
今年は、つい最近北のほうででかい地震があって津波警報が出てたりしましたし、地震そのものが身近に感じられる年だったということなのかもしれません。それでもあの未曾有の大惨事の記憶を風化させて良い訳は無く、改めてあの日のことを思い出している次第です。
地震予知自体はなかなか進展しないようですが、阪神大震災では地震の直前、空気中のラドン濃度が急上昇していた、という記録がでたそうです。なんでも地下深くの花崗岩が破壊された際放出されるラドンが検出されたのだろう、ということですが、そんなこんなも含めて、近い将来必ずあるとされる南海東海大地震の予知が成功するよう、この分野の研究が進展することを祈りたいと思います。
さて、ブログというのは、一日のうちで何か思いついたときに、今日はこれをネタに書こう! などと一応は思ってみるものなのですが、さてこうしてモニターを前にキーボードをたたき始めると、たいていの場合思いついたネタを忘れてしまうことが多いみたいです。たとえば昨日は久々に見た「遠山の金さん」で、松平建扮する金さんがどうも違和感があって、それは松平建=暴れん坊将軍、、金さん=中村梅之助or杉良太郎、という強烈な刷り込みが私の中にあるからなのだろう、という話を書くつもりでいたのですが、そのこと自体をすっかり忘れて別のことを書いてしまいました。ああ、そういえば松方弘樹の金さんもどうも違和感があってしょうがなかったですね。
それはともかく、たまには朝から考えていたネタでいこうかと思ったのですが、今日、1月17日といえばやはり忘れてならないのは阪神大震災の記憶、というわけで、実はつい先日までそのことをすっかり忘れており、何で最近新聞が地震の特集をしているんだろう? などと首をかしげる体たらく、たまには新聞もこういう忘れてはならないことを思い出すよすがとして役に立ってくれているのだな、と見直したりいたしました。
で、昨年は何を書いたかな? と過去の日記を紐解いてみたら、ん?何も書いてない。昨年の今日は宮崎勤死刑判決確定の話。一日前は風邪を引いてマスクしっぱなし、という、ああ、このころから具合が悪かったんだな、などと再認識させられたような記事、一日後はキャベツが肺がんリスクを下げる、という話。おかしい、記憶では確かに地震のことを書いたはずなのに、と思って一昨年の今日の日記を見てみましたら、ああ、ここにはちゃんと書いてありました。震災10周年の記事ということで、あの地震のときの記憶を記録していたんですね。昨年は何も書いてなかったとは、ちょっと自分でも驚いてしまいました。
今年は、つい最近北のほうででかい地震があって津波警報が出てたりしましたし、地震そのものが身近に感じられる年だったということなのかもしれません。それでもあの未曾有の大惨事の記憶を風化させて良い訳は無く、改めてあの日のことを思い出している次第です。
地震予知自体はなかなか進展しないようですが、阪神大震災では地震の直前、空気中のラドン濃度が急上昇していた、という記録がでたそうです。なんでも地下深くの花崗岩が破壊された際放出されるラドンが検出されたのだろう、ということですが、そんなこんなも含めて、近い将来必ずあるとされる南海東海大地震の予知が成功するよう、この分野の研究が進展することを祈りたいと思います。