今日はまじめに「仕事」しよう、と思っておりましたら、朝一番の電話で『お仕事』をしないといけなくなりました。ううむ、休みはきっちり休むのが私の基本理念だったのですが、現実はそうも言ってられない、というところまできているようです。というわけで、自宅勤務といえばていのいいサービス残業をこなしつつ、合間を見て最低限しておきたかったこと、メール連絡とサイトの更新だけやりました。サイト表紙の差し替え用CGでも描こうかと思っていただけに、この突然の「残業」にはまったく閉口させられます。とはいえ、これしとかないと4月からの仕事に差しさわりがある、下手をすればおまんま食いあげ、になってしまいかねないので、必死さも多少は違います。CGあきらめるくらいに、ですが(苦笑)。
さて、かくも今の時期に苦労させられるばかりな事務仕事が山積みになるのも、政府が進める、研究費の競争型資金へのシフトのためです。競争型、という通り、お金をいただくのに自分達の仕事がいかに優れ、将来に役立つか、をいっぱい文書書いて関連特許とか集めてアピールするわけですが、面倒な書式やらなにやら、私達が普段使う文書と、いわゆるお役人、と一般に言われる連中の要求する文書というのは、フォーマットが基本的に違うので、あわせるのが大変なのです。いつも「こんなもの書けねーよ!」と思わせるような、3年分の計画やらなにやらを詳細に書けという無理難題なわけです。
こんな風潮はアメリカから吹いてきたのですが、その本場アメリカはもちろん、わが国においてもその弊害というのはすでに現れてきています。たとえば捏造。成果がないと研究費はいただけないので、少しでも自分をよく見せるためにデータをいじったり、そもそもやってもいない実験をでっち上げたり、と、このあいだの納豆騒動と構造的にほとんど同じようなことが、研究の世界でも現れたりします。
そんなことをまとめた本を読みました。「背信の科学者たち」講談社ブルーバックスの一冊です。副題は、「論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか」とあるのですが、内容を読むとまあ昔々から色々出るわ出るわ、メンデルとかニュートンとか科学史上の偉人達から最近の博士たちまで、本当にたくさんの事例が挙げられていて、めまいすらしそうな気がします。科学というのを私はもっと理想的な美しい世界のように思っておりましたけど、実際にはやっぱり人が営む行為ですし、秩序も誠実さも、やっぱり一般の人とそう変わらないレベルであるということになるのでしょう。そして、最近の次々出てくる不祥事も、世間のモラルハザードが科学の世界にも波及しているということなのかもしれません。でも、私が思うに、さっき書きましたけどこの競争型資金というやつがその風潮を助長しているのではないかと思うのです。もちろん研究費を投資にまわしたりする「馬鹿」は論外にしても、研究者といえども霞を食って生きるわけで無し、追い詰められれば追い詰められるほど誘惑は大きくなることでしょう。競争型資金はその追い詰めに一躍買っているとさえいえそうです。その全てを否定するわけではありませんけど、罰則を強化したりするばかりでなく、不正行為をそもそも起こせない制度、起こす気にならない環境作りを考えるべきだと思います。それも、科学を窒息させないようにできるだけ自由に縛らないような方法で。
さて、かくも今の時期に苦労させられるばかりな事務仕事が山積みになるのも、政府が進める、研究費の競争型資金へのシフトのためです。競争型、という通り、お金をいただくのに自分達の仕事がいかに優れ、将来に役立つか、をいっぱい文書書いて関連特許とか集めてアピールするわけですが、面倒な書式やらなにやら、私達が普段使う文書と、いわゆるお役人、と一般に言われる連中の要求する文書というのは、フォーマットが基本的に違うので、あわせるのが大変なのです。いつも「こんなもの書けねーよ!」と思わせるような、3年分の計画やらなにやらを詳細に書けという無理難題なわけです。
こんな風潮はアメリカから吹いてきたのですが、その本場アメリカはもちろん、わが国においてもその弊害というのはすでに現れてきています。たとえば捏造。成果がないと研究費はいただけないので、少しでも自分をよく見せるためにデータをいじったり、そもそもやってもいない実験をでっち上げたり、と、このあいだの納豆騒動と構造的にほとんど同じようなことが、研究の世界でも現れたりします。
そんなことをまとめた本を読みました。「背信の科学者たち」講談社ブルーバックスの一冊です。副題は、「論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか」とあるのですが、内容を読むとまあ昔々から色々出るわ出るわ、メンデルとかニュートンとか科学史上の偉人達から最近の博士たちまで、本当にたくさんの事例が挙げられていて、めまいすらしそうな気がします。科学というのを私はもっと理想的な美しい世界のように思っておりましたけど、実際にはやっぱり人が営む行為ですし、秩序も誠実さも、やっぱり一般の人とそう変わらないレベルであるということになるのでしょう。そして、最近の次々出てくる不祥事も、世間のモラルハザードが科学の世界にも波及しているということなのかもしれません。でも、私が思うに、さっき書きましたけどこの競争型資金というやつがその風潮を助長しているのではないかと思うのです。もちろん研究費を投資にまわしたりする「馬鹿」は論外にしても、研究者といえども霞を食って生きるわけで無し、追い詰められれば追い詰められるほど誘惑は大きくなることでしょう。競争型資金はその追い詰めに一躍買っているとさえいえそうです。その全てを否定するわけではありませんけど、罰則を強化したりするばかりでなく、不正行為をそもそも起こせない制度、起こす気にならない環境作りを考えるべきだと思います。それも、科学を窒息させないようにできるだけ自由に縛らないような方法で。