どうも先月末に小銭入れを落として以来、いわゆる「ツイてない」状態が続いているような気がいたします。車に正面から突っ込まれそうになったり、なかなか眠気を伴う休みボケが治らなかったり、階段でけ躓いたり、職場で使っていたマウスが壊れてしまったり・・・。そんなこんなの集大成とでも言うべきでしょうか。今日はとうとう交通事故を起こすに至りました。まあ事故、といってもそんな大げさなものではなく、私の身体は、ごく軽い打ち身と擦り傷一つ、バイクはもともとどこに傷がいこうと判別困難なほどの古強者だったためか、一部軽く曲がったところが出た以外は事故の痕跡なし、相手の車は助手席のドアを軽くへこませ、そこのイドミラーを宙ぶらりんに外した程度。まあ思い切り派手に転げた割りに、なんと言うこともない「事故」となりました。事故は、国道沿いのガソリンスタンドの前で道路の左端を徐行していた私に対し、突然並列した車がT字を描いて覆いかぶさるように我が進路を塞いただめ、どうしようもなくその側面に突っ込む形で接触してしまった、という次第。車の運転手はガソリンスタンドを探していて、たまたま見つけたそこに大慌てで入ろうとして、側面や後方の安全確認を怠っていたとの事。私は事故車の前の一台がスタンドに入ろうとしていたのを見ていたので、念のため速度を十分に落としておりました。よく、すっと入ったらいいのに急に一時停止したりするような輩がいたり、入ると同時に別の車やバイクがスタンドから出るような場合もありますので、スタンド周辺では常に警戒を怠らないのです。それでも、真横から突然前方を塞がれるともはやどうしようもありませんでした。で、軽い我が方ははじかれるようにその場にひっくり返り、私はうつぶせに道に倒れたのでした。結局バイクを多分歩く速さ程度まで減速していたのが功を奏し、ほとんど実害0で済みました。考えてみるとここ10日あまりの不幸は、どれも致命的な衝撃とは程遠い不運ではあります。お金を落としたのも小銭入れだけでさまざまな出費を思えばそう痛いものではありませんでしたし、車が前に突っ込んできたのだって、その瞬間こそ、「これはダメかも・・・」と思ったりしましたが、結局は間一髪で事なきを得ました。マウスが壊れたのも替えが効くもので、CPUそのものがアウトになることからすればはるかに軽い障害です。階段でこけたのだって実害はほぼゼロでした。そして今日の被害も、おまわりさんが来てくれるまでの間、足止めを食ったのが最大の「被害」で、命に別状無いことはもちろん、仕事にも影響しないものでした。そもそもそのような事故に遭遇すること自体が不幸といえば不幸といえるわけですが、それ以上に、こうして小さな不幸が連続することに、どうも不穏な流れを覚えさせられ、不安が首をもたげてくるのを感じてしまいます。
何か呪詛を受けているのか、バチが当たっているのか、と疑いつつ、一方では故なきことでもない、と思ってもいます。たとえばお金を落としたのは私自身の不注意で、実は前々からその無用心さを自覚してはいたのです。事故のほうも、少し運転が荒れ気味で、危ない状態になっていた、という状況でした。階段でこけたのも、日ごろの運動不足が災いしたとも言えます。ようは日ごろから自覚し用心していれば回避できた不幸が多いように思うのです。一言で言えば、「修行が足りない」ということになるのでしょうか。それを補うために易などに凝っていたりもするのですが、なかなか不幸を未然に避ける境地には至っておらず、こちらの方も「修行が足りない」という己の未熟を自覚させられる有様になっております。
何か呪詛を受けているのか、バチが当たっているのか、と疑いつつ、一方では故なきことでもない、と思ってもいます。たとえばお金を落としたのは私自身の不注意で、実は前々からその無用心さを自覚してはいたのです。事故のほうも、少し運転が荒れ気味で、危ない状態になっていた、という状況でした。階段でこけたのも、日ごろの運動不足が災いしたとも言えます。ようは日ごろから自覚し用心していれば回避できた不幸が多いように思うのです。一言で言えば、「修行が足りない」ということになるのでしょうか。それを補うために易などに凝っていたりもするのですが、なかなか不幸を未然に避ける境地には至っておらず、こちらの方も「修行が足りない」という己の未熟を自覚させられる有様になっております。