かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

実家で再びまみえるありがたい恩師の言葉。

2007-04-15 23:07:45 | Weblog
 今日は正月以来3ヶ月ぶりに枚方の実家に行き、今(午後10時40分)帰ってきたところなのですが、結局、サイトの更新とかいろいろなことが手付かずになってしまいました。今日出来なかった分は、今週早いうちに時間を見てやろうと思っております。本来土曜日にしておけばよかったんですが、その前の飲み会の影響で一日くたばっておりましたし、などと言い訳ばかりして結局サボっているのはいつものことで、DVD-BOX2発売1ヶ月前と少し、を控え、性根いれてがんばろうと気持ちを新たにいたしました。
 ところで実家と言うのはかつて自分が住んでいたところだけあって、いろいろな思い出が埋まっています。時間のあるときは近所を出歩いたり物置を探ったりしてそれらを再確認するのですが、今日は小学校5年生の時の通知簿を発見いたしました。当時の担任は随分熱血肌の、今いたらPTAから袋叩きにあって教職免許を取り上げられそうなくらい指導熱心な先生で、私などはとにかく怖いと言う思い出がまず先にたつような男の先生でした。当時の私は、成績こそましなほうでしたが、生活面では今の怠惰の根幹を成す芽が吹いていたのか、毎日何かしら忘れ物をするのがとまらないと言う問題児で、それまでの担任も半ばさじを投げておりました。それを、この通知簿をつけた先生が徹底的に「指導」してくれたおかげで、どうやら人並みに忘れ物をしないようになったようです。また、勉強についても、お仕着せの知識つめこみよりも、自分で考え、自分で答えを探し、その答えについて自分で検証して更に考えを深めていく、と言うように、もっとも基本的な考える姿勢を鍛えてくれたありがたい先生でもありました。そんな先生のコメントが学期ごとに数行ずつ記されているのですが、意外に丁寧な言葉遣いでほめてくれているのにちょっと驚いてしまいました。私の記憶にある、厳格にして常に激しい雷を落とす恐怖の権化、とも言うべき先生の像と、その言葉の優しさとの乖離があまりに大きいように感じたのです。きっと、当時の幼い子供心には怖い先生だったのでしょうが、あの指導のおかげで今の自分があることを思えば、やはりその本心は厳しくも慈愛に満ちた立派な教師だったのでしょう。幾人かいる、私が「恩師」と敬う方々の中でも3本の指に入る先生の言葉を、今日再び眼にすることが出来ただけでも、実家に帰った甲斐があったと言うものです。
 
コメント
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