三連休初日、とりあえず昨夜はこのブログを書いて程なく就寝、少しゆっくり目に寝るつもりでしたが、ほぼいつもどおりに目が覚めてしまいました。仕事のある平日は眠気があるくせに、休日はあんまり眠くない、と言う皮肉な状況ですが、ひょっとしたら眠気は寝不足などの純粋に肉体的な問題ではなく、ストレスの類かもしれない、とちょっと疑いが首をもたげてきました。もしそうだとしたら、あまり休まず働き続けるのも、良くない、と言うことになるのでしょう。休みだとだらけて生活リズムを崩すし、仕事だとストレスがたまるし、となると、やっぱり自律的にそのあたりをコントロールしていかないと、どちらに転んでも身体を壊すのは時間の問題、と言うことになりかねません。ううむ、でも、その自分で自分を律する、と言うのが実は一番苦手だったりするんですよねぇ。困ったものです。
さて、今日はとりあえずためていたビデオを観たり、読みかけの本を片付けたりで一日を過ごしました。映像は「羊たちの沈黙」、本は「ハンニバル」、と相変わらずレクター博士を追っかけているような次第ですが、どちらもきちんと最後まで観て読んで、気づいたことがあります。それは、私はどうやら映画よりも活字の方が好きみたいだ、と言うことです。いえ、もちろん映画には映画のよさがあることは百も承知しています。私が好きな映画の数々は、やはりスクリーンで観てこそ真価を発揮するものだと思いますし、けして映像の価値や効果を否定するものではありません。ただ、活字の原作がある場合は、どうしてもそれと引き比べてしまうことになります。そして、1冊の本を一本の映画にするには、往々にして映画の側の尺が短すぎるため、どうしても、かなりのエピソードを削ってそのエッセンスだけを取り出さざるを得なくなります。時には、原作の中身を大胆に改変して2時間弱の時間に収まるよう話を作り直すことだってあります。原作者と監督の物語に対する解釈の違いもあるでしょうし、同じ物語を描いているはずなのに、お互いが似て非なるもの、になってしまっていると、物語を味わう観客としては、どうしてもその優劣好悪をつけざるを得なくなるのではないでしょうか。すくなくとも、「ハンニバル」の小説版と映画版では、描こうとしている主題も、物語の中身も、登場人物たちの魅力も、圧倒的に小説の方がいい、と私は判断します。特に、ハンニバル・レクターのキャラクターが単なる殺人鬼として描かれてしまう一方、ラストでクラリスの手ではなく、自分の手の方を切り落とすなどの唐突な描き方には非常な違和感を覚えました。でも、映画の方がいい、と思うものだって当然ながらあります。たとえばスティーブン・キング原作の「シャイニング」は、キューブリックの映画の方が断然優れている、と私は思います。特撮映画の類も、小説ではなかなかあの迫力や臨場感は描き出せないでしょう。また、「羊たちの沈黙」では、ラストの暗闇の中でのクラリス対ジェイム・ガムとの文字通り息詰まる一戦は、小説よりも映像の方がいい、と言うか、小説と映像の存在が互いをより楽しめるように支えあっているかのようにも思えましたから、一概にどちらの方が優れている、などと御託を並べるのもこっけいなのかもしれません。
いずれにしても、この数日間は同じ題材のものを映像と活字の両方ほぼ同時並行で楽しむ、と言うなかなかの贅沢を味わったように思います。願わくばそうして両方楽しめる、そんな物語にまた出会いたいものです。
さて、今日はとりあえずためていたビデオを観たり、読みかけの本を片付けたりで一日を過ごしました。映像は「羊たちの沈黙」、本は「ハンニバル」、と相変わらずレクター博士を追っかけているような次第ですが、どちらもきちんと最後まで観て読んで、気づいたことがあります。それは、私はどうやら映画よりも活字の方が好きみたいだ、と言うことです。いえ、もちろん映画には映画のよさがあることは百も承知しています。私が好きな映画の数々は、やはりスクリーンで観てこそ真価を発揮するものだと思いますし、けして映像の価値や効果を否定するものではありません。ただ、活字の原作がある場合は、どうしてもそれと引き比べてしまうことになります。そして、1冊の本を一本の映画にするには、往々にして映画の側の尺が短すぎるため、どうしても、かなりのエピソードを削ってそのエッセンスだけを取り出さざるを得なくなります。時には、原作の中身を大胆に改変して2時間弱の時間に収まるよう話を作り直すことだってあります。原作者と監督の物語に対する解釈の違いもあるでしょうし、同じ物語を描いているはずなのに、お互いが似て非なるもの、になってしまっていると、物語を味わう観客としては、どうしてもその優劣好悪をつけざるを得なくなるのではないでしょうか。すくなくとも、「ハンニバル」の小説版と映画版では、描こうとしている主題も、物語の中身も、登場人物たちの魅力も、圧倒的に小説の方がいい、と私は判断します。特に、ハンニバル・レクターのキャラクターが単なる殺人鬼として描かれてしまう一方、ラストでクラリスの手ではなく、自分の手の方を切り落とすなどの唐突な描き方には非常な違和感を覚えました。でも、映画の方がいい、と思うものだって当然ながらあります。たとえばスティーブン・キング原作の「シャイニング」は、キューブリックの映画の方が断然優れている、と私は思います。特撮映画の類も、小説ではなかなかあの迫力や臨場感は描き出せないでしょう。また、「羊たちの沈黙」では、ラストの暗闇の中でのクラリス対ジェイム・ガムとの文字通り息詰まる一戦は、小説よりも映像の方がいい、と言うか、小説と映像の存在が互いをより楽しめるように支えあっているかのようにも思えましたから、一概にどちらの方が優れている、などと御託を並べるのもこっけいなのかもしれません。
いずれにしても、この数日間は同じ題材のものを映像と活字の両方ほぼ同時並行で楽しむ、と言うなかなかの贅沢を味わったように思います。願わくばそうして両方楽しめる、そんな物語にまた出会いたいものです。