美奈は男に勧められるまま車の助手席に乗り込んでいた。男がシートベルトを引っ張って美奈の身体を固定したが、その間も、ただ黙って座っているばかりである。間もなく走り出した車の中で、美奈の目はじっと前を見つめていた。が、その瞳に映る窓外の風景や車内の様子に、意識が向いているようにはとても思えない。瞬きもし、時折対向車のライトが車内に差し込んだときなどは素早く瞳孔が収縮しているのだが、その心にまぶしいと不快感を覚えることもない。美奈の意識は、まるで夢の中のように主体性を失い、全くの受け身のまま、車に揺られ続けていた。
やがて車が止まり、ドアの開く音が美奈の鼓膜を震わせたが、その刺激を受けた脳は沈黙を守った。美奈はふわっと左頬に靡いてきた微風を受けながら、なおもまっすぐ窓の向こうを凝視していた。
「さあ、もういいだろう」
美奈のシートベルトをはずした男がそう耳元で囁くと、蝋人形然としてほとんど動きのなかった美奈の身体に、突然電気が通ったような震えが生じた。焦点を結ばなかった瞳が、急速に目の前の光景を捉えて、目覚めたばかりの脳に情報を送り出す。美奈ははっと男の存在に気づくと、思わず反対側に逃げようとして、チェンジレバーでしたたかに腰を打った。
「大丈夫かね?」
あいたたた、と顔をしかめる美奈に、男は呆れ顔で呼びかけた。美奈は我に返って怯えた目で辺りを見回し、また男に視線を返した。
「ここどこ?」
窓越しに見える景色は、既に夜のとばりが降りた人気を感じさせない木立と、黒々と聳える山並みだった。男は精一杯柔和な笑顔を形作ると、美奈に答えた。
「ここは私の研究所だ。いや、夢魔と闘うための最前線基地、と言った方が理解してもらえるかな?」
そうだ、と美奈は思いだした。この男は、力を貸して欲しいと言ったのだ。夢魔をこの世から完全に消し去るために。その後、どう言うわけか意識があやふやになり、気がついたらどこだか判らない山の中にいた。思い出すに連れ、最初の恐怖は去ったが、それでも目の前の男に対する警戒心は、根強く美奈の不安をかき立てた。
「私をどうするの?」
精一杯やせ我慢して、美奈は目の前の男に言った。それに対し、男はすぐに答えずに、助手席のドアを大きく開けながら一歩引いて美奈に道を開けた。
「もちろん危害を加えるつもりはない。初めに言っただろう? 君の力を借りたいだけだ。さあ、降りたまえ」
一瞬美奈は躊躇ったが、恐る恐る車の外に出た。その目の前に、明るく光る白い建物が見えた。5階建てのまるでホテルのような建物だ。正面の一枚ガラスで出来た自動ドアの上に、「ドリームジェノミクス社」のレリーフが掲げられている。自動ドアの前には、両側に一昔前の警官が着ていたような制服を身にまとい、長い棒を手にした恰幅の良い男が一人づつ並んで立っていた。
「さあ、来なさい」
男は警備員達に軽く頷くと、そのまま後ろも見ずにすたすたと建物目がけて歩き出した。美奈はここでも躊躇したが、二人の警備員の目がじっと自分に注がれているのを感じて、今はしょうがないと観念した。周りを見ても暗い森が目に入るばかりで、道があるかどうかも判然としない。そんな中で仮に逃げ出したとしても、あの二人に追いつかれずに逃げ切るのはまず無理だろう。美奈は一つ溜息をつくと、男の後を追った。
こうして一歩建物に足を踏み入れた美奈は、以外に広々としたエントランスに、少しだけ緊張を解いた。外観同様ちょっとしたホテルの玄関のようだ。壁の内装は淡いパステルカラーで統一され、影になる部分にも間接照明でほの明るく光が漏れている。
「こっちだ」
男はエントランスホールの左奥に見えるエレベーターに美奈を先導し、三基のうち、折から口を開けていた右端の一台へ美奈を乗せた。
やがて車が止まり、ドアの開く音が美奈の鼓膜を震わせたが、その刺激を受けた脳は沈黙を守った。美奈はふわっと左頬に靡いてきた微風を受けながら、なおもまっすぐ窓の向こうを凝視していた。
「さあ、もういいだろう」
美奈のシートベルトをはずした男がそう耳元で囁くと、蝋人形然としてほとんど動きのなかった美奈の身体に、突然電気が通ったような震えが生じた。焦点を結ばなかった瞳が、急速に目の前の光景を捉えて、目覚めたばかりの脳に情報を送り出す。美奈ははっと男の存在に気づくと、思わず反対側に逃げようとして、チェンジレバーでしたたかに腰を打った。
「大丈夫かね?」
あいたたた、と顔をしかめる美奈に、男は呆れ顔で呼びかけた。美奈は我に返って怯えた目で辺りを見回し、また男に視線を返した。
「ここどこ?」
窓越しに見える景色は、既に夜のとばりが降りた人気を感じさせない木立と、黒々と聳える山並みだった。男は精一杯柔和な笑顔を形作ると、美奈に答えた。
「ここは私の研究所だ。いや、夢魔と闘うための最前線基地、と言った方が理解してもらえるかな?」
そうだ、と美奈は思いだした。この男は、力を貸して欲しいと言ったのだ。夢魔をこの世から完全に消し去るために。その後、どう言うわけか意識があやふやになり、気がついたらどこだか判らない山の中にいた。思い出すに連れ、最初の恐怖は去ったが、それでも目の前の男に対する警戒心は、根強く美奈の不安をかき立てた。
「私をどうするの?」
精一杯やせ我慢して、美奈は目の前の男に言った。それに対し、男はすぐに答えずに、助手席のドアを大きく開けながら一歩引いて美奈に道を開けた。
「もちろん危害を加えるつもりはない。初めに言っただろう? 君の力を借りたいだけだ。さあ、降りたまえ」
一瞬美奈は躊躇ったが、恐る恐る車の外に出た。その目の前に、明るく光る白い建物が見えた。5階建てのまるでホテルのような建物だ。正面の一枚ガラスで出来た自動ドアの上に、「ドリームジェノミクス社」のレリーフが掲げられている。自動ドアの前には、両側に一昔前の警官が着ていたような制服を身にまとい、長い棒を手にした恰幅の良い男が一人づつ並んで立っていた。
「さあ、来なさい」
男は警備員達に軽く頷くと、そのまま後ろも見ずにすたすたと建物目がけて歩き出した。美奈はここでも躊躇したが、二人の警備員の目がじっと自分に注がれているのを感じて、今はしょうがないと観念した。周りを見ても暗い森が目に入るばかりで、道があるかどうかも判然としない。そんな中で仮に逃げ出したとしても、あの二人に追いつかれずに逃げ切るのはまず無理だろう。美奈は一つ溜息をつくと、男の後を追った。
こうして一歩建物に足を踏み入れた美奈は、以外に広々としたエントランスに、少しだけ緊張を解いた。外観同様ちょっとしたホテルの玄関のようだ。壁の内装は淡いパステルカラーで統一され、影になる部分にも間接照明でほの明るく光が漏れている。
「こっちだ」
男はエントランスホールの左奥に見えるエレベーターに美奈を先導し、三基のうち、折から口を開けていた右端の一台へ美奈を乗せた。