結局その日は、よく眠れないままうつらうつらと朝まで過ごすしかなかった。食事を運んでくるときが何か変化のチャンスだ、と思って待ち受けていたのだが、食事はドアに取り付けられた小さな窓から差し入れられただけで、慌てて駆け寄った美奈が何を聞こうとも、一言も相手は言葉を返してはくれなかった。仕方無しに食欲もないまま形だけ料理に手を付け、美奈はベットに潜り込んだ。後残すは夢しかない。もともと今夜は麗夢のところへ久々に遊びに行くつもりだったのだから、麗夢かアルファ、ベータの夢に行けばよい。ところが、その夜は何故かどうしても自分の夢から外に出ることが出来なかった。普段なら、何も意識しなくても望みの夢に飛べるのに、今夜だけはいくら意識を集中して見ても、まるで動く事が出来ない。結局美奈は、そんな実りのない努力の果て、とうとう朝を迎えてしまったのである。
美奈は、突然鳴った電話のベルに叩き起こされた。慌てて受話器を上げると、昨日高原と名乗った男の声が、耳に届いた。
『私だ。早速だが、クローゼットを開けて中の衣装に着替えてくれ給え。これから一連の検査をさせて貰いたい。それが済んだら朝食にしよう。二〇分後に迎えが行くから、用意してくれ』
あの! と美奈が言いかけるうちに、電話は一方的に切られた。しょうがなしにクローゼットをあけると、病院で入院患者が着せられるような、ゆったりとした水色のパジャマが、素っ気ない下着と共に置いてあった。美奈はシャワーだけでも浴びようか、と思ったが、迎えに来る、と言う時間まで余裕がない。仕方無しにその半袖膝丈の病院着に着替え、安っぽいビニル製のスリッパを履いて迎えを待った。間もなく、こんこん、とドアがノックされた。美奈は思わずはい! と返事して、がちゃりと開いたドアに振り返った。すると、能面のような顔をしたナース服姿の女性が美奈に言った。
「こちらへ来て下さい」
「は、はい・・・」
美奈は恐る恐る看護婦の後について部屋を出た。
看護婦は、美奈を連れたままエレベーターで昨日嶋田と吉住が降りていった三階の一室に美奈を連れていった。そこはまさに、病院の診察室そのものだった。壁際には簡易ベット。その脇に控える点滴用の懸吊装置。壁にはレントゲン写真を見るための透過光パネルが白い光を放ち、他にも良く判らない様々な装置が、LEDの光を点灯させながら出番を待っている。何人かの白衣の男女が忙しそうに行き来しているのを見ても、やはり病院としか見えない。高原自身も、この場所ではまるで医者のように白衣に身を包み、中央のイスに収まっていた。
「おはよう。夕べはよく眠れたかね?」
「・・・はい・・・」
美奈は小さな声で嘘をつきながら、そっと室内を不安げに見回した。
「そうか。では、まず君の基礎的な身体的データを取らせて貰おう。血液も採取させて貰うよ。まあ、ちょっとした健康診断だと思って、気軽にしてくれ。その後、食事を取って、早速実験に参加して貰う。いいね」
美奈は堅い表情のまま、こくりと頷いた。
「では始めよう」
高原は、既にスタンバイしていた検査スタッフに合図し、美奈の身柄を引き渡した。
検査はおよそ一時間程で終わった。身長、体重、血液採取、心肺機能の検査、大きなドーム状の装置に入れられての検査は、恐らくテレビで見たCTスキャンの類だろう。こうして文字通り健康診断そのものの検査を終えた美奈は、別室で軽い朝食をあてがわれ、高原の現れるのを待った。
高原は、美奈が大方の食事を終えたところで再び現れた。さっきと変わらぬ白衣姿に、プラスチック製の黒いクリップボードを抱えている。
高原は美奈の姿を認めると、まっすぐその席まで大股で歩いてきた。
「食事は済んだかね?」
「・・・はい・・・。」
美奈はさっきまでデザートのフルーツをつついていたフォークを置いて、前の席についた高原を凝視した。そんな美奈の視線に気づいているのかいないのか、少なくとも高原は目の前の少女の心境などお構いなしに、携えてきたクリップボードに目を落とした。
「・・・うむ、事故の後遺症はほぼ完治したようだな・・・。他は至って健康そのもの。申し分のない中学一年生だ・・・」
所見が書き並べてあるシートをめくりながら、高原が独り言のように呟いた。美奈は、何と答えていいか判らないまま、ただじっと黙って座っていた。すると、クリップボードから目を離した高原が、そんな美奈に視線を移した。覚えず美奈の身体に力が入り、膝の上で握り拳がぎゅっと固まった。
「では、ちょっと教えてくれないか? いつから人の夢に入る能力に目覚めたのかね?」
美奈は返答を少し躊躇したものの、重ねて問われて重い口を開いた。
「・・・確か、一年前くらいからです」
「一年前、と言うと、事故で入院してしばらくしてからだね。それは、どういうところから始まった?」
「初めはただの空想でした。あたし、動けなくて、外に行きたかったけどどうしようもなくて、それで外に出ている自分を空想していたらいつの間にか・・・」
「初めの夢は、どこの誰の夢だったね?」
「隣の病室の、友達の夢でした」
「そうか、やはりまずは手近な人物から始まったのだな。では、病院の外に出られるようになったのはいつだね?」
「大体半年前です」
「それで、私の夢を覗き込んだ、と言うわけだ」
美奈はうつむいて、小さくはい、と返事した。目の前の男の態度はけして威圧的ではないし、怒りや恨み、侮りなどの強い負の感情をまとっていると言うわけでもなかった。むしろ美奈に対する姿勢は、壊れ物を扱うように丁寧な態度に終始している。だが、美奈には目に見える姿や耳に聞こえるその優しげな声とは別に、どうも気圧されるものを覚えて、面と向かっているのが息苦しく感じられてならなかった。
「あの、ご、ごめんなさい。私、あの頃は外に出られるのがうれしくて、その、つい・・・」
「別に夢を覗かれたことは気にしていない。少し無謀だったとは思うがね。おかげで君はそのためにかなり恐ろしい体験をした・・・。だが、私は寧ろ喜んでいるんだ。自分と同じ力を持つ者に出会えたんでね」
「自分と同じ力って・・・、まさか!」
美奈は、突然鳴った電話のベルに叩き起こされた。慌てて受話器を上げると、昨日高原と名乗った男の声が、耳に届いた。
『私だ。早速だが、クローゼットを開けて中の衣装に着替えてくれ給え。これから一連の検査をさせて貰いたい。それが済んだら朝食にしよう。二〇分後に迎えが行くから、用意してくれ』
あの! と美奈が言いかけるうちに、電話は一方的に切られた。しょうがなしにクローゼットをあけると、病院で入院患者が着せられるような、ゆったりとした水色のパジャマが、素っ気ない下着と共に置いてあった。美奈はシャワーだけでも浴びようか、と思ったが、迎えに来る、と言う時間まで余裕がない。仕方無しにその半袖膝丈の病院着に着替え、安っぽいビニル製のスリッパを履いて迎えを待った。間もなく、こんこん、とドアがノックされた。美奈は思わずはい! と返事して、がちゃりと開いたドアに振り返った。すると、能面のような顔をしたナース服姿の女性が美奈に言った。
「こちらへ来て下さい」
「は、はい・・・」
美奈は恐る恐る看護婦の後について部屋を出た。
看護婦は、美奈を連れたままエレベーターで昨日嶋田と吉住が降りていった三階の一室に美奈を連れていった。そこはまさに、病院の診察室そのものだった。壁際には簡易ベット。その脇に控える点滴用の懸吊装置。壁にはレントゲン写真を見るための透過光パネルが白い光を放ち、他にも良く判らない様々な装置が、LEDの光を点灯させながら出番を待っている。何人かの白衣の男女が忙しそうに行き来しているのを見ても、やはり病院としか見えない。高原自身も、この場所ではまるで医者のように白衣に身を包み、中央のイスに収まっていた。
「おはよう。夕べはよく眠れたかね?」
「・・・はい・・・」
美奈は小さな声で嘘をつきながら、そっと室内を不安げに見回した。
「そうか。では、まず君の基礎的な身体的データを取らせて貰おう。血液も採取させて貰うよ。まあ、ちょっとした健康診断だと思って、気軽にしてくれ。その後、食事を取って、早速実験に参加して貰う。いいね」
美奈は堅い表情のまま、こくりと頷いた。
「では始めよう」
高原は、既にスタンバイしていた検査スタッフに合図し、美奈の身柄を引き渡した。
検査はおよそ一時間程で終わった。身長、体重、血液採取、心肺機能の検査、大きなドーム状の装置に入れられての検査は、恐らくテレビで見たCTスキャンの類だろう。こうして文字通り健康診断そのものの検査を終えた美奈は、別室で軽い朝食をあてがわれ、高原の現れるのを待った。
高原は、美奈が大方の食事を終えたところで再び現れた。さっきと変わらぬ白衣姿に、プラスチック製の黒いクリップボードを抱えている。
高原は美奈の姿を認めると、まっすぐその席まで大股で歩いてきた。
「食事は済んだかね?」
「・・・はい・・・。」
美奈はさっきまでデザートのフルーツをつついていたフォークを置いて、前の席についた高原を凝視した。そんな美奈の視線に気づいているのかいないのか、少なくとも高原は目の前の少女の心境などお構いなしに、携えてきたクリップボードに目を落とした。
「・・・うむ、事故の後遺症はほぼ完治したようだな・・・。他は至って健康そのもの。申し分のない中学一年生だ・・・」
所見が書き並べてあるシートをめくりながら、高原が独り言のように呟いた。美奈は、何と答えていいか判らないまま、ただじっと黙って座っていた。すると、クリップボードから目を離した高原が、そんな美奈に視線を移した。覚えず美奈の身体に力が入り、膝の上で握り拳がぎゅっと固まった。
「では、ちょっと教えてくれないか? いつから人の夢に入る能力に目覚めたのかね?」
美奈は返答を少し躊躇したものの、重ねて問われて重い口を開いた。
「・・・確か、一年前くらいからです」
「一年前、と言うと、事故で入院してしばらくしてからだね。それは、どういうところから始まった?」
「初めはただの空想でした。あたし、動けなくて、外に行きたかったけどどうしようもなくて、それで外に出ている自分を空想していたらいつの間にか・・・」
「初めの夢は、どこの誰の夢だったね?」
「隣の病室の、友達の夢でした」
「そうか、やはりまずは手近な人物から始まったのだな。では、病院の外に出られるようになったのはいつだね?」
「大体半年前です」
「それで、私の夢を覗き込んだ、と言うわけだ」
美奈はうつむいて、小さくはい、と返事した。目の前の男の態度はけして威圧的ではないし、怒りや恨み、侮りなどの強い負の感情をまとっていると言うわけでもなかった。むしろ美奈に対する姿勢は、壊れ物を扱うように丁寧な態度に終始している。だが、美奈には目に見える姿や耳に聞こえるその優しげな声とは別に、どうも気圧されるものを覚えて、面と向かっているのが息苦しく感じられてならなかった。
「あの、ご、ごめんなさい。私、あの頃は外に出られるのがうれしくて、その、つい・・・」
「別に夢を覗かれたことは気にしていない。少し無謀だったとは思うがね。おかげで君はそのためにかなり恐ろしい体験をした・・・。だが、私は寧ろ喜んでいるんだ。自分と同じ力を持つ者に出会えたんでね」
「自分と同じ力って・・・、まさか!」