目覚めた途端、麗夢は大急ぎで起きあがって傍らで眠る鬼童の元に駆け寄った。アルファ、ベータも飛び上がって麗夢の後を追う。確かに今、鬼童の命は失われたかも知れない。だが、まだ死んでから時間はほとんど経過していない。適切な蘇生処置を施せば、息を吹き返すかも知れないのだ。麗夢はじっと横たわる広い胸板に耳を付けた。
どくん。どくん。どくん。
たちまち麗夢の耳が、力強い心臓の鼓動で満たされた。まだ死んでない! 麗夢の頬にたちまち赤みが差した。これなら助けられるかも知れない! 麗夢はすがりつくように鬼童の寝顔を見下ろすと、必死の思いで呼びかけた。
「鬼童さん起きて! お願い、目を醒まして!」
心配げに見守るアルファとベータの目に、鬼童の瞼が微妙に揺れるのが見えた。目覚めかけている、と直感した麗夢は、更に声を張り上げて鬼童に呼びかけた。
「鬼童さん! 鬼童さんしっかり! 鬼童さん!」
「・・・うーん・・・」
鬼童の瞼が開いた。焦点の定まらない視線が、ぱちぱちと瞬きを繰り返す内にはっきりと対象物を捉え、主人の脳に活を入れた。
「れ、麗夢さん?」
あまりに近い麗夢の顔に驚く間もなく、鬼童の顔が豊かな香りよい碧の黒髪に覆われた。
「良かった! 鬼童さん生きてたのね!」
鬼童は、突然意中の人に抱きしめられ、顔を真っ赤にしてただ驚くばかりだった。
「れ、麗夢さん、どうしたんです! お、落ち着いて麗夢さん!」
「だって、本当に良かった!」
鬼童は、とうとう泣き出した麗夢になす術なく抱きしめられているよりなかった。
十五分後。
ようやく落ち着いた麗夢をテーブルにつかせ、鬼童はマグカップと浅い皿にそれぞれ温かいココアを満たして、お客の前に置いた。
「しかし判りませんね。僕は麗夢さんが捜索のために僕の夢から離れた後、ずっと夢の実験室で帰りを待っていたんですけど、結局麗夢さん達が帰ってくる前に叩き起こされたことしか覚えてないんですよ。死夢羅の姿なんて全く記憶にない。一体何があったんです? 麗夢さん」
鬼童は、初めからそうと知っていれば目覚めの時のやり方も別にあったのに、と内心密かに後悔しつつ麗夢に言った。麗夢はココアに口を付けると、まだ泣きはらした赤い目のまま、難しい顔をして鬼童に言った。
「私にもさっぱり判らないわ。確かに鬼童さんが死夢羅に捕まって、その首を切り落とされたのを見たのよ。でも鬼童さんはこの通りぴんぴんしているし、死夢羅が来た事を示すような瘴気の残滓も全くない。一体どうなっているのかしら?」
「とにかく記録を調べてみましょうデータに痕跡が残っているかも知れませんから」
自分のココアを飲み干した鬼童は、早速処理にかかろうと背後の端末に振り向こうとして、ふと立ち止まった。
「麗夢さん、手、どうしたんですか?」
「え?」
「ほら、右手の甲に赤い斑点が・・・」
鬼童の言うままに手の甲を見た麗夢は、染み一つない白い肌の中央に、赤い発疹がぽつりと盛り上がっているのに気がついた。まるで蚊に刺されたような跡だ。だが、蚊の飛び回る季節ではないし、第一、鬼童の研究室はその性質上気密性が高く、虫の侵入など到底考えられない。
「いつ刺されたのかしら?」
「最近は異常気象のせいか、蚊もいつでも飛び回っていたりしますからね。まあこれなら跡も残らないでしょうが、一応診ておきましょうか?」
鬼童は、ここぞとばかりに麗夢の紅葉のような手を取った。が、その至福を味わう前に、鬼童はその赤い発疹の中央に、きらりと光る何かを見た。
「ん? まだ何か残っているぞ? ちょっと待っててくださいね」
良く判らないまま、ええ、と答えた麗夢を置いて、鬼童は奥の実験台をごそごそとかき回し、やがてライトと拡大スコープを備えたヘッドセットを装着して、小さなピンセットとガラスシャーレを手に、麗夢のところへと戻ってきた。
「ちょっとじっとしていて下さいよ・・・」
鬼童は麗夢の手の平をテーブル面に密着させて固定すると、おもむろにライトをつけ、さっきの光の元にピンセットを伸ばした。慎重にその先を摘み、まっすぐに引き抜きガラスシャーレに移す。さながら精密機械張りの正確さで一連の作業を終えた鬼童は、その正体を麗夢に告げた。
「これは、針ですね。極細の、小さな奴ですが」
鬼童の掲げたガラスシャーレを麗夢も覗き込んだが、どれが針なのかさっぱり判らなかった。肉眼で捉えるのはかなり難しい細かさである。麗夢は、良くこんなものが見えたな、と感心しながら、シャーレから目を放した。
「でも、そんなものいつ刺さったのかしら?」
「判りませんけど・・・、まあちょっと暇を見て調べてみましょう」
鬼童はもう一度道具類とガラスシャーレを実験台に戻すと、接客用のテーブルに戻って言った。
「で、今夜ですけど・・・」
どうします? と期待も露わに言いかけた鬼童の言葉を遮って、麗夢は言った。
「ごめんなさい鬼童さん。私何だか疲れちゃった。今日は帰ってすぐに休むわ」
「え? あ、ああ、そうですね。結局手がかりも掴めなかったですし、食事はまたの機会と言うことで」
当てが外れた鬼童だったが、考えてみればさっき目覚めるときに充分すぎる程今日の「成果」は手にしていることを思い出し、満面の笑みを湛えて麗夢を出口へと誘った。
「本当にごめんなさいね。それと、今日は協力してくれてありがとう」
「何の、麗夢さんの頼みでしたら、いつでも大歓迎ですよ」
玄関口ですまなそうに頭を下げる麗夢に、朗らかな笑みでさよならを言った鬼童は、ドアを閉めるなり早速さっきの光景が実験記録映像にちゃんと残っているか確かめようと、奥の実験室に戻っていった。
どくん。どくん。どくん。
たちまち麗夢の耳が、力強い心臓の鼓動で満たされた。まだ死んでない! 麗夢の頬にたちまち赤みが差した。これなら助けられるかも知れない! 麗夢はすがりつくように鬼童の寝顔を見下ろすと、必死の思いで呼びかけた。
「鬼童さん起きて! お願い、目を醒まして!」
心配げに見守るアルファとベータの目に、鬼童の瞼が微妙に揺れるのが見えた。目覚めかけている、と直感した麗夢は、更に声を張り上げて鬼童に呼びかけた。
「鬼童さん! 鬼童さんしっかり! 鬼童さん!」
「・・・うーん・・・」
鬼童の瞼が開いた。焦点の定まらない視線が、ぱちぱちと瞬きを繰り返す内にはっきりと対象物を捉え、主人の脳に活を入れた。
「れ、麗夢さん?」
あまりに近い麗夢の顔に驚く間もなく、鬼童の顔が豊かな香りよい碧の黒髪に覆われた。
「良かった! 鬼童さん生きてたのね!」
鬼童は、突然意中の人に抱きしめられ、顔を真っ赤にしてただ驚くばかりだった。
「れ、麗夢さん、どうしたんです! お、落ち着いて麗夢さん!」
「だって、本当に良かった!」
鬼童は、とうとう泣き出した麗夢になす術なく抱きしめられているよりなかった。
十五分後。
ようやく落ち着いた麗夢をテーブルにつかせ、鬼童はマグカップと浅い皿にそれぞれ温かいココアを満たして、お客の前に置いた。
「しかし判りませんね。僕は麗夢さんが捜索のために僕の夢から離れた後、ずっと夢の実験室で帰りを待っていたんですけど、結局麗夢さん達が帰ってくる前に叩き起こされたことしか覚えてないんですよ。死夢羅の姿なんて全く記憶にない。一体何があったんです? 麗夢さん」
鬼童は、初めからそうと知っていれば目覚めの時のやり方も別にあったのに、と内心密かに後悔しつつ麗夢に言った。麗夢はココアに口を付けると、まだ泣きはらした赤い目のまま、難しい顔をして鬼童に言った。
「私にもさっぱり判らないわ。確かに鬼童さんが死夢羅に捕まって、その首を切り落とされたのを見たのよ。でも鬼童さんはこの通りぴんぴんしているし、死夢羅が来た事を示すような瘴気の残滓も全くない。一体どうなっているのかしら?」
「とにかく記録を調べてみましょうデータに痕跡が残っているかも知れませんから」
自分のココアを飲み干した鬼童は、早速処理にかかろうと背後の端末に振り向こうとして、ふと立ち止まった。
「麗夢さん、手、どうしたんですか?」
「え?」
「ほら、右手の甲に赤い斑点が・・・」
鬼童の言うままに手の甲を見た麗夢は、染み一つない白い肌の中央に、赤い発疹がぽつりと盛り上がっているのに気がついた。まるで蚊に刺されたような跡だ。だが、蚊の飛び回る季節ではないし、第一、鬼童の研究室はその性質上気密性が高く、虫の侵入など到底考えられない。
「いつ刺されたのかしら?」
「最近は異常気象のせいか、蚊もいつでも飛び回っていたりしますからね。まあこれなら跡も残らないでしょうが、一応診ておきましょうか?」
鬼童は、ここぞとばかりに麗夢の紅葉のような手を取った。が、その至福を味わう前に、鬼童はその赤い発疹の中央に、きらりと光る何かを見た。
「ん? まだ何か残っているぞ? ちょっと待っててくださいね」
良く判らないまま、ええ、と答えた麗夢を置いて、鬼童は奥の実験台をごそごそとかき回し、やがてライトと拡大スコープを備えたヘッドセットを装着して、小さなピンセットとガラスシャーレを手に、麗夢のところへと戻ってきた。
「ちょっとじっとしていて下さいよ・・・」
鬼童は麗夢の手の平をテーブル面に密着させて固定すると、おもむろにライトをつけ、さっきの光の元にピンセットを伸ばした。慎重にその先を摘み、まっすぐに引き抜きガラスシャーレに移す。さながら精密機械張りの正確さで一連の作業を終えた鬼童は、その正体を麗夢に告げた。
「これは、針ですね。極細の、小さな奴ですが」
鬼童の掲げたガラスシャーレを麗夢も覗き込んだが、どれが針なのかさっぱり判らなかった。肉眼で捉えるのはかなり難しい細かさである。麗夢は、良くこんなものが見えたな、と感心しながら、シャーレから目を放した。
「でも、そんなものいつ刺さったのかしら?」
「判りませんけど・・・、まあちょっと暇を見て調べてみましょう」
鬼童はもう一度道具類とガラスシャーレを実験台に戻すと、接客用のテーブルに戻って言った。
「で、今夜ですけど・・・」
どうします? と期待も露わに言いかけた鬼童の言葉を遮って、麗夢は言った。
「ごめんなさい鬼童さん。私何だか疲れちゃった。今日は帰ってすぐに休むわ」
「え? あ、ああ、そうですね。結局手がかりも掴めなかったですし、食事はまたの機会と言うことで」
当てが外れた鬼童だったが、考えてみればさっき目覚めるときに充分すぎる程今日の「成果」は手にしていることを思い出し、満面の笑みを湛えて麗夢を出口へと誘った。
「本当にごめんなさいね。それと、今日は協力してくれてありがとう」
「何の、麗夢さんの頼みでしたら、いつでも大歓迎ですよ」
玄関口ですまなそうに頭を下げる麗夢に、朗らかな笑みでさよならを言った鬼童は、ドアを閉めるなり早速さっきの光景が実験記録映像にちゃんと残っているか確かめようと、奥の実験室に戻っていった。