今日は小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還して丁度1年という記念の日です。近年なかなか無い正味の感動シーンに目頭を熱くした記憶もまだ生々しい物がありますが、もう1年もたってしまったんですね。月並みな言い方ではありますが、月日の流れるのは実に早いものです。1年前の今日は、科学の素晴らしさをまざまざと国民に認識してもらった貴重な時間になりましたし、科学音痴の政権が、事業仕分けなる茶番をひっくり返して削ろうとした科学技術振興予算を残したという、我々技術者にとっても忘れえぬ凱歌を上げるきっかけとなった一日でした。しかし、福島原発の惨状は、そんな科学と技術に対する信頼を突き崩し、再び国民を、迷妄と混沌の最中に呑み込もうとするかのようです。私は常々、経済とか経済性とか効率性とか言うようなお話に人間がとらわれることにそこはかとない疑問を打ち消すことが出来ずにいるのですが、あえて暴論を承知で言えば、科学や技術もまた、この経済という怪物に首根っこを押さえ込まれてやるべきではなかった妥協を余儀なくされたのがあの事故だったんじゃなかろうか、と思うのです。効率性や採算性を重視するあまり、科学ではありえない「絶対安全」を声高に主張せざるを得なくなったんじゃないか、本来計算しておくべきだった廃棄物処理に関する問題を先送りにしてしまったんではなかろうか、などなど。まあ、核で発電するという技術自体が、発電効率や採算性を考慮した結果生まれたものであることは確かなのでしょうから、一概に事故の責任を経済のセイばかりにするのも一方的すぎる見方なのでしょう。それはそれとして自覚しておくべきことなのだろうなとは思います。
一方で、巨大になった科学技術は、ひょっとしたら今のヒトの手には余る存在にまで育ち過ぎたのかも、という気もしています。原発事故はもちろん、飛行機が落ちて一度に何百人も亡くなったりするような状況というのは、どこか歪な物があるような気がします。そのために2重3重の安全策を講じて最悪の事態を避けるように努力し、また、過去の失敗の例から教訓を汲み上げてより安全な将来につなげたりという不断の努力がなされているわけですが、事故はそんな努力をあざ笑うかのように盲点を突いて来るようなところがあり、たとえ経済性を度外視して徹底的に安全対策をやりこんだとしても、盲点の存在をゼロには出来ない以上、最悪の事態を計算に入れたリスク評価が必要なのではないか、と思うのです。
科学は徹底的にピーキーに安全や採算性、場合によっては人間性すら度外視して究極の真理を明らかにすることに、無駄でも何でもとにかく一層奮励努力すべきだと思いますが、技術に関しては、ヒトという間違えやすいイキモノが使うことを考慮に入れた中身にしていくことを、一段と明確に意識しなければならないのでしょう。それにつけても、効率性とか経済性とかが全面にしゃしゃり出てくると、それらが蔑ろになりそうで、結局悶々とまた悩まざるをえないのですが。いつかそれらを満足させる最適解を得られる日が来るんでしょうか?
一方で、巨大になった科学技術は、ひょっとしたら今のヒトの手には余る存在にまで育ち過ぎたのかも、という気もしています。原発事故はもちろん、飛行機が落ちて一度に何百人も亡くなったりするような状況というのは、どこか歪な物があるような気がします。そのために2重3重の安全策を講じて最悪の事態を避けるように努力し、また、過去の失敗の例から教訓を汲み上げてより安全な将来につなげたりという不断の努力がなされているわけですが、事故はそんな努力をあざ笑うかのように盲点を突いて来るようなところがあり、たとえ経済性を度外視して徹底的に安全対策をやりこんだとしても、盲点の存在をゼロには出来ない以上、最悪の事態を計算に入れたリスク評価が必要なのではないか、と思うのです。
科学は徹底的にピーキーに安全や採算性、場合によっては人間性すら度外視して究極の真理を明らかにすることに、無駄でも何でもとにかく一層奮励努力すべきだと思いますが、技術に関しては、ヒトという間違えやすいイキモノが使うことを考慮に入れた中身にしていくことを、一段と明確に意識しなければならないのでしょう。それにつけても、効率性とか経済性とかが全面にしゃしゃり出てくると、それらが蔑ろになりそうで、結局悶々とまた悩まざるをえないのですが。いつかそれらを満足させる最適解を得られる日が来るんでしょうか?