かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

なんだか切羽詰まってなし崩しに物事が流れていくような気持ち悪い怖さを覚えます。

2011-06-23 21:13:01 | Weblog
 鹿児島県の伊藤知事が、原発再稼働を要請した経産大臣の言葉に、「納得出来る」と一定の理解を示したのだそうです。その上で、「安全性の問題などについて地元に丁寧に説明してほしい」と注文をつけられたのだとか。
 至極当然の発言だと私には思えたのですが、そのような意見の表明は時期尚早だと批判する声もあったとのこと。原発は、いずれ頼らなくても済むようにするのが絶対の目標として、それを、今このままなし崩し的に電力供給も危ういままにやってしまっていいのかどうか。何で読んだか忘れましたが、とあるエコノミストが、火力発電にこれまで以上に頼ることになると、それだけ天然ガスの買い付けを増やさざるを得ず、世界の天然ガス需給を圧迫して価格を釣り上げる要素になりかねない、そうなると経済力の乏しい国々から、日本が買い占めるからと非難を浴びることになる、という意見を読みましたが、なるほど、炭酸ガス以外にそういうデメリットもありうるのか、とちょっと考えさせられました。本来なら地熱とか太陽熱とか風力とか、昔から言われていて使えそうな物をもっと積極的に展開していればまだよかったのかもしれませんが、残念ながら現時点でそれらはまだ机上の空論に過ぎず、これからそれを大々的に力入れてやるにしても1年や2年で物になるわけでもないでしょう。北海道で地熱発電をやる、というニュースも見ましたが、その発電所の建設と稼働に10年かかるのだとか。ソフトバンク社長の唱える太陽エネルギー発電も、海の上にいっぱい風車を浮かべて発電すれば日本の必要電力くらいまかなえるようになる、という話も、実際にその規模でプラントを建設して安定発電できるようになるまで何年かかるのか、という話をはっきりさせないまま、「アレも出来る、これも出来る」という話ばかりが横行しているように感じます。10年かかるなら10年かかるで、10年目には原発0で行くよ、で、それまでどうしようか、こうすれば何とか出来るんじゃない? というような話を聞きたいのですが、このままだと10年間は毎年電力不足に怯えないといけない、なんていうことになりかねない気がします。
 切羽詰らないとやる気にならない、というのはたしかに自分もそうですし、そういうものかもしれないとは思うのですが、自分が切羽詰まっても自分の責任ですんでしまう個人のことと違い、国全体のことは、国民はもちろん、広く世界にだって迷惑をかけかねないですし、人によっては生命に関わることにもなりかねないと思うと、なしくずしに流されるままに事を運んでしまうのだけは避けて欲しいです。ちゃんと計算して、やるべき事ややらざるを得ない事ややらなくても済みそうなことを仕分けして、その上で客観的な数字と共に説得力ある節電策なり発電方法なり原発再開なり廃止なりを提示して欲しいです。鹿児島県の知事さんの言葉に、そんなことを思っていました。

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