かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

歴史文物を大事にするには、まずは衣食足りることと、次に教育とが大事なのでしょうね。

2011-06-03 22:55:14 | Weblog
 昨日の疲れが残っていたのか、今日は一日眠たくてふらふらしていました。頭の中が2割ほど眠ったままみたいな感じです。ちょっとした実験をやらねばならなかったのですが、どうもめちゃくちゃ数値が振れてしまい、再試験せざるを得なくなりました。どうも、自分では身体状態の自覚はあったので操作には慎重を期したのですが、その心構えを凌駕するほどに手元が怪しくなっていたようです。長時間運転が疲れるのは今に始まったことではないのですが、うけたダメージの深さや回復の遅さなどに自分がとってしまった年の嵩が露わになっているように感じます。

 さて、その長時間運転を余儀なくさせた奈良県内の道ですが、仕方ないところもあります。なにせ、どこで土木工事をしても『何か』が出てくる土地柄なのですから、道一つつけたり広げたりするのも大変です。それでも数十年前はそれほどでも無く、なにせ平城京跡の土地に近畿日本鉄道が堂々横断していたり、京都から奈良を通って和歌山まで縦貫する京奈和自動車道が平城宮跡を通す予定だったりしたくらいですから、奈良県内の土木工事が大変さを増したのは本当にココ30年くらいのことではないでしょうか。今でも県民の中には、遺跡の調査より道路! と声を上げる層が一定割合いますし、今後も、国民の中で考古学とか歴史とかに対する興味認識が薄くなるようなことがあれば、また遺跡が危機に瀕することもあるでしょうね。
 何でこんなことを書いているかというと、中国南部、かつて楚国があった所に最古の長城があるのだそうですが、それが風力発電のために2キロに渡って取り壊されてしまった、というニュースを見たからです。世界遺産にもなっている中国の至宝とも言うべき文化遺産も、現地住民にとっては逼迫する電力事情のほうが優先されてしまったのでしょう。これを、中国の民度は低い、と哂うのは簡単なのですが、奈良県に置いても上記の通りなのですから、あまり大笑いも出来ない気がしたのです。まあ、かつて我が国もたどった道であり、それを思えば文化的には3,40年くらい遅れている国なのだ、と言えるのかもしれません。数十年後、国民一般に文化遺産を大事にする必要がある、と認識する国にかの国がなっているかどうかは、ちょっと想像しにくいことではありますが。

 それにしても、楚長城が万里の長城の中でも最古級、というのは判るのですが、現存しているのは明の時代に修復された物なのではないのでしょうか? 記事には2600年前に建築された最古の長城、と書いてありますが、どうも正確とは言いがたい内容な気がいたします。それとも明代の修復も土台はそのままに表面に石を貼っつけただけ、とかなんでしょうか?

コメント
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