昨夜は20時から今朝の8時過ぎまで氷点下の気温が続き、さすがに道がやばいか、と思ったのですが、案外大したことはなく、普通に走ることが出来ました。地面が乾いていたこともありますが、昨夜は随分雲が出て放射冷却もあまり起こらなかったみたいですし、溜池にも氷が張っておらず、気温ほどには地温は下がっていないように感じました。明日も朝は冷え込みがきつそうですが、今日は昼間はよく晴れていましたし、この分なら多少の冷えでも危ないところはそう無いでしょう。
さて、佳境を迎えつつある東京都知事選挙で、元首相の細川護煕氏が脱原発やら中国との国交回復やら経済至上主義から脱却する脱成長やらを掲げて演説されたそうです。なんだか国会議員選挙のような演説内容ですが、いくら東京が我が国の首都でちょっと他の地方とは違うと言っても、一地方行政単位として地元でやらなければならないことはそれこそ首都ゆえにこそたくさんあるでしょう。あまりそのことには言及なさっておられない模様で、本当に都知事になろうと思ってらっしゃるのか、大いに疑問を覚えます。
まあその是非を判断されるのは東京都民の方々ですから、片田舎のこちらとしてはニヤニヤしながらその顛末を楽しませてもらえばそれで十分なのですが、こうして立候補者の顔ぶれを見ていましたら、前知事が辞める必要が本当にあったのか、と疑問無きにしもあらずです。
それはともかく、色々と揶揄されているような細川氏の演説ですが、個人的に、経済至上主義にはちょっと疑問があるので、全面的に細川氏の主張を否定する気にはならないのです。盗人にも三分の理、という程度の同意ですが、世の中最も勝ちがあり影響力を持つのがどうしてお金なのか、というかなり幼稚な価値観の問題で、私は経済至上主義にある種の疑問を持っています。まあ私は経済学とかの社会学系が大嫌いなせいで単に理解できないだけなのかもしれませんが、科学技術の発展や生命科学の進歩、生活の利便性の向上、などといったモノが、おしなべて金銭に掣肘されてその歩みを遅くしているのがどうも理不尽なものに感じます。例えば、以前ノーベル賞受賞者である山中教授が研究資金を集めるために大阪マラソンに出てアピールする、というような事がありましたが、才能ある研究者の活動が、お金の不足、というだけで阻害されてしまうのはどこか間違っている気がします。といって、だからどうすればよい、という対案は全く思いつかないのがまた困りモノなのですが、お金に取って代わる価値あるものを見出すのではなく、金と並立して認められる普遍的な価値基準がもっと複数あっても良いのではないか、と夢想したりするのです。
まあ所詮は惰眠のまどろみの中でこね回しているだけの愚論だろうとは思うのですが、そのような既存の価値観に疑問を投げかけるという点でのみ、私は細川候補に僅かな共感を覚えるのでした。
さて、佳境を迎えつつある東京都知事選挙で、元首相の細川護煕氏が脱原発やら中国との国交回復やら経済至上主義から脱却する脱成長やらを掲げて演説されたそうです。なんだか国会議員選挙のような演説内容ですが、いくら東京が我が国の首都でちょっと他の地方とは違うと言っても、一地方行政単位として地元でやらなければならないことはそれこそ首都ゆえにこそたくさんあるでしょう。あまりそのことには言及なさっておられない模様で、本当に都知事になろうと思ってらっしゃるのか、大いに疑問を覚えます。
まあその是非を判断されるのは東京都民の方々ですから、片田舎のこちらとしてはニヤニヤしながらその顛末を楽しませてもらえばそれで十分なのですが、こうして立候補者の顔ぶれを見ていましたら、前知事が辞める必要が本当にあったのか、と疑問無きにしもあらずです。
それはともかく、色々と揶揄されているような細川氏の演説ですが、個人的に、経済至上主義にはちょっと疑問があるので、全面的に細川氏の主張を否定する気にはならないのです。盗人にも三分の理、という程度の同意ですが、世の中最も勝ちがあり影響力を持つのがどうしてお金なのか、というかなり幼稚な価値観の問題で、私は経済至上主義にある種の疑問を持っています。まあ私は経済学とかの社会学系が大嫌いなせいで単に理解できないだけなのかもしれませんが、科学技術の発展や生命科学の進歩、生活の利便性の向上、などといったモノが、おしなべて金銭に掣肘されてその歩みを遅くしているのがどうも理不尽なものに感じます。例えば、以前ノーベル賞受賞者である山中教授が研究資金を集めるために大阪マラソンに出てアピールする、というような事がありましたが、才能ある研究者の活動が、お金の不足、というだけで阻害されてしまうのはどこか間違っている気がします。といって、だからどうすればよい、という対案は全く思いつかないのがまた困りモノなのですが、お金に取って代わる価値あるものを見出すのではなく、金と並立して認められる普遍的な価値基準がもっと複数あっても良いのではないか、と夢想したりするのです。
まあ所詮は惰眠のまどろみの中でこね回しているだけの愚論だろうとは思うのですが、そのような既存の価値観に疑問を投げかけるという点でのみ、私は細川候補に僅かな共感を覚えるのでした。