かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

本当に国歌斉唱が何も譲れないほど許しがたい事だったのか、にわかには首肯致しかねます。

2016-10-24 21:29:12 | Weblog
 今日の最高気温は20.9℃。朝から久しぶりに明るい陽光が照り映え、1日、やもすると暑さを覚えるほどの暖かさになりました。ただ、朝はめっきり冷え込んで、午前5時26分に記録した最低気温は8.8℃、日が差してくるまでは10℃を上回る事無く、冷え冷えした朝に、思わずセーターを着て出かけました。明日は朝はそこそこ冷えるもの1日雨模様の天気だそうで、朝から奈良の北の方へ出かけないといけない身としては、少し難儀な天気になるようです。

 さて、卒業式で国歌斉唱の際、起立と斉唱を拒んだ事を理由に減給処分されたのは憲法の保証する思想・良心の自由の侵害であるとして、大阪府立支援学校の教諭が府に処分の取消と賠償金200万円を求めた訴訟で、大阪高裁は、処分を適法とした一審判決を支持し、教諭の控訴を退ける判決を下されたとのことです。
 原告は、「君が代が国民を戦争に駆り立てた歴史を考えると歌えない」と主張し、府の処分を不当と訴えましたが、高裁は、卒業式での起立斉唱は単なる「慣例上の儀礼的な所作」であり、式の円滑な進行などの目的があるなら思想・良心の間接的な制約も許されると判断され、本処分は府の裁量の範囲内だと判断しました。
 判決後、原告は会見で、「非常に残念。色んな考えの人がいることを示すのが教育だと思い、子どもたちには『立つ立たないは自分で考えるんだよ』と教えてきた。府条例は違憲と判断してほしかった」と話したとのことですが、まあ件の教師の考えはともかくとして、これは妥当な判決だったのではないかと思います。正直な所、個人的にはつまらない式典自体あまり好きではありませんし、自由な心情を阻害されるのはイヤですから、原告の言わんとすることも全くわからないわけではないのですが(もちろん私は自由意志で国歌を起立の上全力で歌い上げますが、それこそ自由ですよね)、自分がわがままを最大限貫くためには世の中が秩序だってないと困りますし、それこそ無法な弱肉強食な世の中になられてはわがままも言えなくなりますから、その規範としての決まり事には、なるべく素直に従うことにしています。この教師殿は、その決まり事は守りたくない、良心の自由というわがままを貫き通したい、と主張されたわけですが、そう主張しうるほど、今は甘くて過ごしやすい世の中であることを、少しは意識されたらどうかと思います。こうして闘う自由もありますし、大阪府の教師を辞めて国歌を歌わなくて済む職業を選択する自由もあります。実に良い世の中だと思いますが、国歌斉唱が本当に譲れないおのが矜持の限界点だったのか、改めて見直されてみてはどうかと思います。

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