今朝の奈良市アメダスの最低気温は11℃、最高気温は27.9℃、五條市アメダスの最低気温は5.9℃、最高気温は26.6℃でした。今日も一日朝から良い天気でした。布団も良く乾きましたし、過ごしやすかったように思います。ただ、休み中ですし試しに薬を断ってみましたら、見事に一日くしゃみが続きました。観測される花粉自体は随分と減ってきているようですが、その減った量でも私にとってはまだまだきつい濃度なのでしょう。明日はできるだけ外には出ずに、室内でも空気清浄機を稼働して過ごすと致しましょう。眠気などの副作用の少ない第2世代型抗アレルギー薬でも、あまりに飲み続けすぎるのもいろいろ身体に負担がかかりそうでなるべくなら飲まずに済ませたいのです。
さて、昭和の日の今日、ニュースサイトの一つで、昭和と平成、どちらが良い時代だったかを問うアンケートの結果が公表されていました。それによると、平成より昭和のほうが良い時代だった、と思う人の割合は年寄りほど多く、20代24.2%、30代32.8%、40代47.8%、50代54.7%、60代59.9%と、10代毎にざっと10%ずつ上がっていくような様子でした。まあ古き良き時代は嫌なことなどは捨象されていいことばかりセピア色の記憶の向こうに影のように揺らめき踊るものなのでしょうが、60代のヒトでも昭和初期の記憶は無いでしょうし、それらを経験した80代、90代のヒトだとどういう意見を持つかは判りません。また、昭和の記憶そのものを持たないはずの20代、30代でも1/4ー1/3のヒトが昭和のほうが良い、という風に答えているのは、知らない世界に対する憧れみたいなものでもあるのでしょうか。しかし、多分60代にしても50代にしても、戦後の高度経済成長期から平成直前のバブル景気の頃の記憶で昭和を語っているのだろうと思いますし、若く元気で何をしても楽しかった昭和時代と老いた平成の今を比較する、というのも、どうもあまりフェアではないような気も致します。
私個人としては、昭和には昭和の良さがあったと思いますし、幼少時の懐かしい時代ではあったと思いますが、どちらが良いかを客観的に問われたら、そりゃ今のほうが良いと答えるでしょう。パソコンやインターネットがあるだけで、全時代よりも数段優れた時代と言えると確信いたします。しかし、来年の明日平成が終了して次の元号の時代になれば、きっと私はその次代のほうが良い、と感じるのではないでしょうか。昭和の時も未来は素晴らしいと感じていましたし、その気持は今もあまり変わっていません。きっと色々素晴らしいモノ、凄いことが生まれてくるに違いない未来にこそ、本当の「良い時代」があるのだ、と単純に信じているのです。まあその結論は多分死ぬ直前の走馬灯で検証できるんじゃないかと思いますが、できれば「未来」の超科学でもって寿命が延長してその未来をもっと先へ伸ばしておきたいですし、いざその時には、十分に時間が取れる大往生で世を去りたいものです。
さて、昭和の日の今日、ニュースサイトの一つで、昭和と平成、どちらが良い時代だったかを問うアンケートの結果が公表されていました。それによると、平成より昭和のほうが良い時代だった、と思う人の割合は年寄りほど多く、20代24.2%、30代32.8%、40代47.8%、50代54.7%、60代59.9%と、10代毎にざっと10%ずつ上がっていくような様子でした。まあ古き良き時代は嫌なことなどは捨象されていいことばかりセピア色の記憶の向こうに影のように揺らめき踊るものなのでしょうが、60代のヒトでも昭和初期の記憶は無いでしょうし、それらを経験した80代、90代のヒトだとどういう意見を持つかは判りません。また、昭和の記憶そのものを持たないはずの20代、30代でも1/4ー1/3のヒトが昭和のほうが良い、という風に答えているのは、知らない世界に対する憧れみたいなものでもあるのでしょうか。しかし、多分60代にしても50代にしても、戦後の高度経済成長期から平成直前のバブル景気の頃の記憶で昭和を語っているのだろうと思いますし、若く元気で何をしても楽しかった昭和時代と老いた平成の今を比較する、というのも、どうもあまりフェアではないような気も致します。
私個人としては、昭和には昭和の良さがあったと思いますし、幼少時の懐かしい時代ではあったと思いますが、どちらが良いかを客観的に問われたら、そりゃ今のほうが良いと答えるでしょう。パソコンやインターネットがあるだけで、全時代よりも数段優れた時代と言えると確信いたします。しかし、来年の明日平成が終了して次の元号の時代になれば、きっと私はその次代のほうが良い、と感じるのではないでしょうか。昭和の時も未来は素晴らしいと感じていましたし、その気持は今もあまり変わっていません。きっと色々素晴らしいモノ、凄いことが生まれてくるに違いない未来にこそ、本当の「良い時代」があるのだ、と単純に信じているのです。まあその結論は多分死ぬ直前の走馬灯で検証できるんじゃないかと思いますが、できれば「未来」の超科学でもって寿命が延長してその未来をもっと先へ伸ばしておきたいですし、いざその時には、十分に時間が取れる大往生で世を去りたいものです。