コミュニティスクールという言葉が鈴鹿市の方針の中でも踊っています。
しかし、補正予算での教育委員会の説明を聞いていても、学校現場で話をしていても、言葉ばかりが先立ってしまっていて、イメージ先行になっていると思います。イメージでわかったつもりになって取り組もうとしている、それを現場に下ろそうとしている、そういう感じでしょうか。
その理由はなぜかと考えると、「コミュニティ」単純に「地域社会」と訳して、教育委員会の都合に合わせた範囲で考えて事業を進めようとしているからだと思います。本来「コミュニティ」という言葉で表わされるものは、非常に複雑な階層になっており、その点についてのある程度の理解がなければ、簡単に取りくめないものと考えます。
教育委員会はどうやら中学校は「中学校区」で、小学校は「小学校区」でと考えているようで、この発想自体が教育委員会の都合で設定した地域社会ということになります。
自分なりに単純に整理すると、小学校の場合・・・
わたし→家族→ご近所→自治会→親の友達(友達の親)→小学校区
という形になるでしょうか。もちろん、もっと細かく見ればいろいろと要素はありますが。直線というよりは円で広がって重なり合っていくと考えてもらえるといいかと思います。基本的には、徒歩で移動できる範囲で構成される範囲であり、親子孫の三世代が関係を持てる範囲とも言えるかもしれません。また、転校などの理由がない限り、一人の子供について6年間関係する範囲と言えます。
これが中学校となると・・・
わたし→家族→ご近所→自治会→親の友達(友達の親)→小学校区→中学校区
と、一見そう変わりないように見える形ですが、大きく変わるのは、複数の小学校区から通学してくる子どもがいることを考えたとき、かなり複雑な様相になることでしょう。また親の人間関係も、小学校の時のそれから中学校のそれへと変化することで、親にとっての地域とのつながりを変容させることにつながるかもしれません。また校区全域で考えると、徒歩で移動できる範囲を越えることになります。そして一人の子供について、3年間の関係といえるでしょう。
鈴鹿で考えると、これに行政区というコミュニティの範囲も加わることになるため、それとの関係も考える必要が出ると考えます。一方、公民館はおおよそ各小学校区に存在し、その意味では小学校区を補完する、小学校区での活動を濃くする意味合いを持っていると考えます。また、地域課で取り組んでいる‘地域づくり’との関連もしっかり押さえなければいけないと考えます。
まだそれほど整理していない状態でもこれだけのことが出てくるわけですから、コミュニティスクールというのは言葉では簡単でも、実際に取りくむためには非常に難しいものだといえます。
言葉で「地域社会」というのは簡単ですが、その内容についてある程度共有される考え共通理解が、行政と教育委員会だけでなく、市民、地域住民との間になければ、その言葉で振り回される人は非常に多くなるはずです。つまり、教育の場面だけでなく、私たちがどのように地域と関係して生活していくかということ自体にも目を向けなければいけないと考えます。
地域社会を都合よく解釈しないようにということや、地域課の地域づくりとの関連性を持たせることや連携をとることは、何度も訴えているのですが、どうもまだピンときてはもらえないようです。
だからこそ、鈴鹿市行政や教育委員会の中で、社会学的見地を持った職員や、実際に地域づくりに携わった職員などで、きちんと行政の仕事とこのようなコミュニティの関係を整理するべきだと考えます。
しかし、補正予算での教育委員会の説明を聞いていても、学校現場で話をしていても、言葉ばかりが先立ってしまっていて、イメージ先行になっていると思います。イメージでわかったつもりになって取り組もうとしている、それを現場に下ろそうとしている、そういう感じでしょうか。
その理由はなぜかと考えると、「コミュニティ」単純に「地域社会」と訳して、教育委員会の都合に合わせた範囲で考えて事業を進めようとしているからだと思います。本来「コミュニティ」という言葉で表わされるものは、非常に複雑な階層になっており、その点についてのある程度の理解がなければ、簡単に取りくめないものと考えます。
教育委員会はどうやら中学校は「中学校区」で、小学校は「小学校区」でと考えているようで、この発想自体が教育委員会の都合で設定した地域社会ということになります。
自分なりに単純に整理すると、小学校の場合・・・
わたし→家族→ご近所→自治会→親の友達(友達の親)→小学校区
という形になるでしょうか。もちろん、もっと細かく見ればいろいろと要素はありますが。直線というよりは円で広がって重なり合っていくと考えてもらえるといいかと思います。基本的には、徒歩で移動できる範囲で構成される範囲であり、親子孫の三世代が関係を持てる範囲とも言えるかもしれません。また、転校などの理由がない限り、一人の子供について6年間関係する範囲と言えます。
これが中学校となると・・・
わたし→家族→ご近所→自治会→親の友達(友達の親)→小学校区→中学校区
と、一見そう変わりないように見える形ですが、大きく変わるのは、複数の小学校区から通学してくる子どもがいることを考えたとき、かなり複雑な様相になることでしょう。また親の人間関係も、小学校の時のそれから中学校のそれへと変化することで、親にとっての地域とのつながりを変容させることにつながるかもしれません。また校区全域で考えると、徒歩で移動できる範囲を越えることになります。そして一人の子供について、3年間の関係といえるでしょう。
鈴鹿で考えると、これに行政区というコミュニティの範囲も加わることになるため、それとの関係も考える必要が出ると考えます。一方、公民館はおおよそ各小学校区に存在し、その意味では小学校区を補完する、小学校区での活動を濃くする意味合いを持っていると考えます。また、地域課で取り組んでいる‘地域づくり’との関連もしっかり押さえなければいけないと考えます。
まだそれほど整理していない状態でもこれだけのことが出てくるわけですから、コミュニティスクールというのは言葉では簡単でも、実際に取りくむためには非常に難しいものだといえます。
言葉で「地域社会」というのは簡単ですが、その内容についてある程度共有される考え共通理解が、行政と教育委員会だけでなく、市民、地域住民との間になければ、その言葉で振り回される人は非常に多くなるはずです。つまり、教育の場面だけでなく、私たちがどのように地域と関係して生活していくかということ自体にも目を向けなければいけないと考えます。
地域社会を都合よく解釈しないようにということや、地域課の地域づくりとの関連性を持たせることや連携をとることは、何度も訴えているのですが、どうもまだピンときてはもらえないようです。
だからこそ、鈴鹿市行政や教育委員会の中で、社会学的見地を持った職員や、実際に地域づくりに携わった職員などで、きちんと行政の仕事とこのようなコミュニティの関係を整理するべきだと考えます。