鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

日常を破壊する

2011年08月16日 02時01分47秒 | Weblog
東北関東大震災では‘日常’が壊されることの恐怖を、まざまざと私たちに見せつけたのは間違いことだと思います。

私たちが当たり前だと思っていた‘日常’が津波にのみ込まれ、あっという間に壊され、流され、見る影もなくなってしまう光景と現実に、私たち自身ものみ込まれてしまっているように感じます。圧倒的な力がすべてを押し流してしまう映像には、どうしても津波の脅威に、私たちも凝視するようになってしまっているとも思います。

また、浦安市が象徴的になっていますが、液状化の被害も同じでしょう。広範囲にわたって液状化が起こったことによって、道路が波打ったりしただけでなく、住宅が傾いたり沈下したりということは、‘日常’の破壊を現しているはずです。

津波も液状化も、被災された方々を考えたとき、非常に痛ましい被害を与えていると言えます。地震がその発生と同時に、これらの被害を招いたことは間違いないことです。瞬間的に‘日常’が破壊されたことに、私たちは恐怖を覚えているのでしょう。

ある意味、これらの恐怖は、マスコミが写真や動画などの映像情報を大量に流したこと、また災害被害のインパクトは非常に大きいものであるから、私たちはそれに目を奪われている部分があるのではないでしょうか。

しかし、今回の地震において、‘日常’の破壊は津波や液状化だけではないはずです。
じわじわと‘日常’が破壊される。見た目は壊れていないにも関わらず、‘日常’が破壊されていることがあるはずです。
福島第一原子力発電所の状況はまさにそれであるはずです。

たしかにはじめの被害は津波によるものかもしれませんが、それ以降の状況は、人間の過信が招いた事態としかいえないでしょう。爆発などで待機中に放出された放射性物質は、すぐそばだけではなくて、離れた土地も汚染している。漏れ出して海水中に放出された放射性物質も、広範囲に海洋を汚染している。
それらは私たちの生活を、‘日常’をじわじわ侵食しながら、その危険に対する感覚を麻痺させながら進行している。
そのことを忘れてはいけないはずです。

しかし、マスコミなどでは事態が収束しているわけでないにも関わらず、状況が大きく変わらなければ情報として価値がないかの如く、現在の状況を報道していないのではないでしょうか。原発事故の情報の少なさが、より津波などに対して目を向けさせることにつながっているのでしょう。

今回の地震でも、直接津波の被害を受けていなくても、その土地から離れなければいけなくなった方々がたくさんいるという現実を忘れるべきではありません。

鈴鹿に住む私たちも、津波や液状化だけでなく、後者のように‘日常’が壊されることに対して、目をそらさず考えるべき時代なのだと思います。
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