ネットへの書き込みをきっかけにして、保育園の待機児童に関することが情報番組で取り上げられています。
待機児童については課題と考えますし、どのように解決するか多様な考えで取り組むべきと思います。だからメディアは問題だと騒ぐ論調になるのでしょう。
ただ、情報番組を見ていて気になったのはその事ではなく、待機児童の解決と、国の財政状況と、その他の動きと、それらを関連付けて考えるような情報提供がないのだなと。首都圏を中心にした待機児童をはじめとした子育ての課題は大きいもので、その解決には相応の財政支出が必要なことは明らかです。
では解決のために必要となる財源について、年間90兆円強の予算のなかで、国の長期債務は国と地方あわせて1000兆円を越えている状況でどのように調達するのか、予算を確保するにはなにかをあきらめお金を回すことが必要でしょう。そのような中で東京オリンピックが経済効果があるということで、首都圏に誘致することについてメディアは浮かれた論調があったのではないでしょうか。
オリンピック招致が話題になっているときに、私たちはどのような選択をすべきかという論調が報道されていれば、少しは状況が違っているのではないかと思ったりします。諸外国でオリンピック招致やサッカーワールドカップ招致の際に、そのようなことで巨額の財政支出が行われることに反対という動きがあったことは、市民の方々の意識はもちろんですが、ネットも含めたメディアとの関係が大きいように思います。
たしかに書き込みの内容のように国の問題もあるでしょうが、その時その時の空気の一部だけを切り取って報道してきていることが、今の社会状況をつくる要素であることは否定できないと思います。
一方で、私たちもいろいろな要素に目を向け、聞こえのよいことばかりでなく、耳に痛いことについても情報を取り入れ、
どのような選択するのかを考えることが必要なのだと思います。いろいろな選択の結果が、いま私たちを取り巻く社会の状況を作り出していると考えるところから、物事を解きほぐしていくことが求められていると思います。