行政が、今までなかった行政サービスを増やすということは、それがなかった時代に形成された公共施設や道路などのインフラといった社会資本の維持更新に対して、大きな重荷であり、すべてを今まで通りにすることは難しいことを、住民・市民に伝える責務つまり説明責任が、首長と議会にあると考えるべきだと思います。
なぜなら、税収が増えることが見込めないなかで新しいことに取り組むということは、市民のみなさんから納めていただいている税の使い道を変えることだからです。ですから財源についての考えなども、本来は市民のみなさんに情報を公開し、その部分でも合意をつくるべきでしょう。
また、公共施設マネジメントや公共施設等総合維持管理計画の中で施設の長寿命化を選択しているのなら、それはいずれ来る施設の老朽化による限界を先延ばししていると考えられるわけで、その施設の是非や財源も含め、将来世代にツケまわしをしているという意識も必要だと思います。
鈴鹿市で言えば、市立体育館と市民会館について長寿命化をとるということは、20年くらい先に、それらの施設を鈴鹿市に改めて建て直すのか、それとも、もう残すことができないのか、先送りにしている状態だということです。もし建て直すのであれば、そのために基金を積み立てていく必要があります。どちらも現在の金額で50億円以上かかるだろうと予測できるでしょうから、20年後にもし建て直すのであれば、少なくとも半分程度は積み立てていく意識を持つことが、世代間の公平の上でも、いまの大人世代のとるべき行動だと思います。
しかし、あわせて毎年2億円以上積み立てていけるだけの財政的な余裕があるかといえば、現時点で経済の先行きも不透明な中、積立をできていないのが現状です。そのような中で、中学校給食の実施やエアコン設置という選択を行ったということは、さらに積み立てられない状況を進めたということであり、いまの時点ですでに、市民に情報公開をし議論の上で、方向性を選択することが求められていると思います。
サービスを増やそうとしたり、公共施設を建設しようとする際に、行政を叩けばお金が出てくるという錯覚にとらわれがちですが、実際は税の中でやりくりが行われているのであり、国や県を期待しても税で行われることには変わりありません。市債や国債の発行で行うことは、人口減少の中で育たなければいけない将来世代の、自分たちにとって実現したい社会構築のための原資を、先食いしてしまうことになるという意識を、政治に携わる層はもっと強く持つべきなのだと思います。