こんばんは今日は紀北町で開かれていた「2019高校生地域創造サミット」の様子を見に行っていました。
都合、午後の紀北町副町長からの課題提案までを聞き、高校生が町内のポイントに出かけるまでだったのですが、午前中にあった木本、三重、尾鷲、岡山県津山東、兵庫県生野の五校の生徒さんからの活動報告は、非常に興味深く聞いていました。
木本高校の生徒さんの発表は、発表していた学生の熱意があふれているのを感じて、それが周りの人も動かしているんだろうなと感じましたし、津山東高校の生徒さんの発表は、たまたま今年、津山市のコンセッションの取り組みを視察したこともあって、行政の動きと津山東高校での行学の取り組みが重なるようでした。やはり、一度でも現地に行ったりした経験があって、いろいろな話を聞いていると、こういう場面でその経験が重なり、興味が深まります。
で、タイトルの「そのイメージはどこまで共有?」ということですが、これは今回のイベントの中で聞かれた「地域活性化」という言葉や、「そのまちに住みたいと思う」という表現についてです。
そもそも「活性化」している状態ってどんな感じでしょう?
「地域活性化」という言葉が必要と思われる社会の状況は突然あらわれたわけではなく、これまでの生活や経済活動の選択の結果あらわれたものではないでしょうか。ですが「地域活性化」という言葉が使われるときイメージされているのは、どこかしら拡大するイメージを伴っているように思いますし、その言葉を使う人たちにとって元気があったと感じる時代の雰囲気ではないでしょうか。とすれば、活性化が必要だという状況をつくってきたのは、そもそもそう言っている人たち自身の行動と選択の結果じゃないでしょうか。それについては自分も含めて、一定責任があると思いますし、謙虚にならないといけない部分があると思います。
なのに、「活性化」という言葉を唱えながら、今までの延長で社会を考え、なんとかしようとしても、実は課題解決から遠ざかるばかりのような気がします。また、若い世代の多くに、ショッピングモールや大都市が活性化のモデルのように思わせてしまう可能性はないでしょうか。「活性化」という言葉を躍らせる前に、過去を検証することが必要だと思います。
もしかしたら、これからの社会にとって、地域が将来にわたって持続的な状態であれば、それは活気があると考えて良いかもしれないでしょうし、人口が減っても、それに適応するように暮らしを変化させながら、生活に充足感を持っていられるなら、それは活気のない状態と言わなくて良いのではないでしょうか。若い世代はどのようにイメージするのか、そこを捕まえることが大切と思います。「地域活性化」という状態のイメージが世代を超えて話しあわれ、そして、ある程度の合意のもとで共有されている状態で、将来の政策を選択することが求められていると思います。
「そのまちに住みたいと思う」という言葉も、若い世代とのギャップが出てくるのではないでしょうか。関係人口という言葉が一般化していますが、「住む」ということ自体、ひとつの場所とは限らなくなるのではないでしょうか。実際にそういう動きも出てきていますし、今後より多様化していくと思います。そもそも、働くこと自体が形を変える中で、考え方が変わっていく可能性は高いと思います。また、人生のその時々の状況に応じて、有利なサービスを求めて住む場所を変えることも増えるかもしれないでしょう、それがいいとは言いませんが。
いま鈴鹿市では総合計画をハブに、いろいろな長期計画が策定され、パブリックコメントにかけられたりしています。それらは計画期間が2023年までになっていますが、若い世代の時間で考えると、4年間は非常に重要な時間のはずで、若い世代もどのように考えるのか、意見を聞くという意識を持つことが必要と考えます。若い世代と考えを共有していくことが、行政にも議会にも、地域社会にも求められていると思います。