鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

鈴鹿市における子ども条例策定について

2023年10月11日 16時28分00秒 | Weblog
最後にも添付しますが、鈴鹿市の子ども条例(仮称)の制定に関する議員説明資料です。公開については議会事務局を通じて確認を取っています。
子ども条例に関してですが、末松市長が令和4年度の統一地方選挙の公約に挙げる前、令和元年に、鈴鹿市議会地域福祉委員会では子どもの権利についての所管事務調査を行い、その結果から、子ども条例の制定を念頭に取り組むよう鈴鹿市に提言を行いました。
 
この間、こども基本法の施行ということもありましたが、令和元年から3年の間は条例づくりという動きはこれと言ってありませんでした。このような観点から見ると「2 理由」の一段落めに鈴鹿市政の課題が垣間見えます。それは「行政」以外の主体である「議会」と「市民」に対するものの見方かもしれません。
 
先に書いているように、子どもの権利や子ども条例に関しては、一般質問でも多くの議員が取り上げていますし、常任委員会での提言があるにもかかわらず、そのようなことは取り上げられていません。
 
また『「鈴鹿市まちづくり基本条例」に子どもの権利を明記し』と記述されていますが、これは策定に関わった市民委員の方の働きかけが大きかったからと記憶します。そのようなこともわからない記述であると同時に、自画自賛しているように読み取れてしまいます。
他に個人的に、課題が顕著に出ていると考える点は、「5 スケジュール等(予定)」の部分で、来年12月施行という目途に合わせた急づくり感があることです。このようなスケジュールで、市民参画やこどもの参画といったことに対して、丁寧に取り組むことができるのか疑問です。
 
鈴鹿市の意見聴取に対する考えは次からの画像を参照して頂きたいと思います。
本当に重視するのであれば、総合計画策定時のように無作為抽出でアンケートを取り、そこからさらに意見聴取の場をつくることもできるはずですし、これは10月6日の地域福祉委員会での説明でも意見したのですが、鈴鹿市は来年開催予定の「子ども会議」において、小中学校すべてで共通のテーマとして子ども条例制定を取り上げ、そこから子供の意見を反映することもできるはずです。

 
高校についての記述では、神戸高校と鈴鹿高専だけが記載されています。市内には、白子、石薬師、稲生、飯野、鈴鹿(私立)とあるにも関わらず、これだけの記載という時点で発想が透けて見えるようです。そのことを指摘すると、「その他の部分で、上記以外も検討と書いてある」ことを説明されました。
 
行政主導と感じられる現状の説明のままで、鈴鹿市が子ども条例の策定に取り組むのでは、単に条例をつくるだけになってしまうと考えます。市長の公約だから制定ありきで進めるのではなく、また条例ができれば良いとするのではなく、制定過程の価値を高いものにしなければ、つくる意味が半減してしまうはずでしょう。
 
こんなことを書くとあれですが、先行自治体の条文などを参酌して条例の体裁をつくることに、時間はそれほどかからないかもしれません。しかし、そこで使われる言葉を鈴鹿市の現状と突き合わせて議論するだけでも相応に時間はかかるはずと考えます。
 
2つめの画像資料を見て頂くと、今から半年後にはパブリックコメントまで出す流れですが、この4年の動きを見る限り、行政内でも子ども条例の必要性について、こどもの権利条約やこども基本法も含めてレクを行い、基本的な内容を職員で共有するくらいが必要とも思います。
 
よろしければご意見お聞かせください。
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食からの見直し

2023年10月11日 07時28分00秒 | Weblog
人口が減少する今の世の中で、同時進行している生成系AIに象徴される事象は、人の存在そのものを問うことになっている。産業革命以降の世の中は、人の力を使うことを減らしながら機械の導入で生産を拡大し、それにより経済も拡大、それが社会の拡大につながってきたことは間違いないところ。その動きが人口が増えることとつながっていたと考える。ある意味で実物と繋がっていた。

しかし今の社会は、株式や為替などの金融によりつくられる経済の拡大に合わせて拡大。株がまだ実物を伴っていた時はかろうじてよかったものの、電子空間での数字のやり取り、しかもコンピューターが人間できる以上のスピードで行うようになった現在、本当にそれにより形成される経済は実態があるのか、社会はどうなのかという問いかけが少ないのではないだろうか。
しかも、刷ればその時点で価値があると考えられている貨幣について、その価値はどこからきているのかと考えることはあるだろうか。過去から現在まで、ハイパーインフレにより貨幣価値が暴落したことがあることを考えたりするだろうか。
知らずに不安定な方向に動いているだけでなく、知っていて不安定さが増す方向に動かしているのであれば、将来世代に対して罪深いことかと考えたりもする。

そのようなことを考えていると、気候変動や地震など自然災害が多発する時代の中で、私たち自身が価値を問い直して、今のベースとなっている資本主義のアップデートを行いながら、次の社会を形づくる責任があるように思う。
その時に一番先に考えることは、金融経済空間を見直すことかもしれない。

私たちが生きるために、電子データは必要なのでしょうか、株は必要でしょうか。アニメ「アキラ」の1シーンですが、混乱の中、欲深いキャラクターが株券をアタッシュケースに詰めて逃げ出すものの、薬を飲むことができず最後を迎えるというものがあります。株券より薬が必要だったのでしょう。
私たちはどうでしょうか。。生物として必要なのは〝食〟ではないか、食べることは避けられないでしょう。しかし、それを支える産業は、金融経済と比べてどのような扱いになっているかを考えると、今の社会の矛盾が凝集されているように考えます。

そんなことを考えると、私たちは〝食〟という視点から社会を考え直す必要に迫られているように思います。
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じぶんごととして

2023年10月11日 01時00分06秒 | Weblog

ずいぶん前から、中学校の部活動は「土、日、祝」をすべて休みにしたほうがよいと考えているので、市で意見交換もよく行っています。もちろん、いろいろと反対意見はあると思いますし、それがすべてではないとも思います。

ですが、子ども(生徒)の居場所を考えるにも、教員の働き方改革を考えるにあたっても、前述のことを鈴鹿市、鈴鹿市教育委員会からまず打ち出すことが、よりよい着地点に至ると考えます。

それを、できるだけ誰にとってもよい形でまとめようとすれば、担当する人がいろいろなところの顔を立てることが必要になり、人の負担が大きいだけでなく、新しい価値の創造にはなかなか至らないのではないでしょうか。

一例として、「土、日、祝」をすべて休みにすれば中学校の屋内運動場などの施設が空いてくることになり、とくに神戸中や平田野中など最近のバリアフリー基準で設計・建設された施設をりようすれば、そうすることで無理なく障がい者スポーツの拠点を形成できると考えます。

また、中学校の屋内運動場はトイレなども含めて成人利用に無理は少ないですし、社会体育の領域での活用可能性も拡大するはずです。利用にあたっては適切に使用料を頂くようにして、それを体育館床面のワックスなど、メンテナンスにまわしていくこともこれからの時代に必要になるだろうと考えます。

 

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