2025年になってはや1週間が過ぎました。世の中は、加速度的に変化する気配を感じますし、自然災害に関しても起こりうる可能性を考慮に入れて、これから先の社会を考える必要があることをひしひしと感じています。
さて、昨年末から警報レベルでインフルエンザが流行、そのほか、マイコプラズマ、新型コロナなどを取り上げながら、メディアによっては“トリプルデミック”なんていう言葉が使われたりしています。
たしかに、年末にうちの孫が発熱したため鈴鹿市応急診療所を受診したところ、かなりの人数の方が受診されていて、大人が相当多かったと聞きました。また、ジュニアバレーなどでもインフルエンザに罹患した子やご家族のかたもいらっしゃいましたし、アデノウイルスで発熱が続いたということも聞きますから、風邪症候群のウイルスによる感染症はかなり多いのだと思います。
そんな中で考えるのですが、国を始めとした行政も、テレビなどをはじめとしたメディアも、“新型コロナ”に関係するいろいろなことを総括して、その上で施策や報道を行っているでしょうか。目の前のことばかりになっていないでしょうか。それを受けている私たちも、目の前のことばかりになっていないでしょうか。
コロナウイルスのリスクについて、武漢型といわれた初期の株はSARSやMARSのように重篤な肺炎につながる可能性は高かったと思います。しかし、感染法上の5類に移行して以降、“新型”という言葉だけがつけられ続けていますが、現在までの株についてのリスクはどのようなものか、コロナウイルスはもともと風邪症候群を引き起こすウイルスのひとつと把握しますが、その状況と今を比べてどうなのでしょうか。
過度に危険と刷り込まれてはいないかと考えることや、機会にそのものについての知識も取り入れて、わたしたちは判断することが大切だと思います。
ワクチンについて、本来は治験を重ねて世に出てくるものが緊急承認の形で認可され、国内で子供から高齢者まで相当数の方々が複数回接種されていますが、感染予防、感染拡大予防、重症化抑止などの効果はどれだけのものだったのでしょうか。一方で、接種によるリスクはどのようなものだったのでしょうか。継続的に調査するべきと考えるのですが、果たして行われているでしょうか。
過去に大丈夫とされていた物質によって、公害や薬害という形で自分だけでなく次の世代にも問題になった事例があったことや、ワクチンに使われている技術などについても考えて、わたしたちは判断することが大切と思います。
感染拡大抑止策について、アクリル板やマスク着用、手指だけでなく接触物や空間などの消毒の徹底などがありました。それぞれの効果はどうだったか、わたしたちは確認しているでしょうか。また人流抑制もありましたが、少なくとも感染拡大の初期段階では、ウイルスが発現したと思われる地域から、世界各地への人の移動が関係したと思われますが、それ以降はどうだったでしょうか。
飛行機での高速移動は、感染拡大するウイルスなどにとってもメリットとなるわけで、多様な感染症の可能性がある地域からの人の移動と検疫について考えた方がよいと思います。そのことを整理しないまま、可能性がある地域のビザ緩和などを行って、新しい感染症が広がったら、いったいだれが責任を取るのか。そのようなことを考えて、取り組みを判断することが大切と思います。
コロナウイルスについて考えても、これまで書いているだけではなくもっと多くの関連事項があります。ましてほかの社会現象を考えても、流れている情報は多様かつ膨大ですべてをとらえて考えることは非常に難しいでしょう。しかし、自分に身近な内容や社会の判断について、大変だからと考えることをやめて、だれかの判断をうのみにしてしまっては、取り返しのつかないことになりかねないでしょう。
これまで以上に、自分で考えて、自分で判断することの大切さが問われる年になりそうな気がします。
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