鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

8時間耐久とストーリー

2012年09月04日 15時58分45秒 | Weblog
ご存知の方も多いと思いますが、鈴鹿市はモータースポーツ都市宣言をしています。8時間耐久、F1だけでなく、鈴鹿サーキットを中心として、市内でモータースポーツ、レースが開催されていることもご存じの方が多いと思います。
今回はそのことに関連してすこし・・・。

9月1日の夕方からですが、鈴鹿サーキット50周年アニバーサリーデーに弟家族と行ってきました。
http://www.suzukacircuit.jp/50anniversary/
午前中から午後にかけてジュニアバレーの練習試合もあったことから、全体のイベントを見ることができていたわけではないのですが、ともかく、イベントの8耐英雄伝説とそのあとの花火を見ようということで行きました。


これは花火前の模擬レースの様子ですが、久々に見る生のバイクレースは、僕もですが子どもたちにも刺激があったようで結構楽しんでいました。上の子どもなどは、ウィリーで走る姿が印象的だったらしく、翌日、夜にSBKの放送を見ていた時も、ウィリーをする人はいないかと聞いてくるほどでした。弟家族も、まだ子供が小さいので音を怖がるかと思っていたら、顔を動かしてバイクを見ていたといっていたので、うちの系列はモータースポーツと相性がいいのかもしれません。

さて、模擬レースが終了後、8耐のときの花火をイメージしての花火が始まりました。

僕は以前、鈴鹿市にあるOVERで勤めていたことがあり、その当時、8時間耐久のピットに入り、作業を目の当たりにするという経験をさせて頂きました。今回の花火では、その時の経験を思い出すような雰囲気に、記憶の奥にしまっていたものが引き出された思いがしました。
しかし、弟やうちの相方さんの話を聞いていると、「もう少し暗くなってからのほうが花火がきれいだったね」ということが。たしかにその通りだと思うのですが、なんでだろうと考えると、先に書いているような経験がないからだと思いました。
つまり、8耐のゴールと花火をつなげるストーリーが弟や相方さんにはないのです。

僕にとっての8耐のストーリーは、OVERでの経験そのものです。
http://www.over.co.jp/over_racing/english/original_complete_machine/ov_15.html
このページの一番右下の小さな写真が、おそらく当時の写真ではないかと思います。
ともかくオリジナルフレームのOV-15で参戦する過程を社内で見れたこと、また、ピット内で8時間耐久に取り組む鬼気迫るような会話、僕にとってのドラマが、ストーリーがそこにあるのです。他のチームが戻ってきている中、まだ戻ってこないOV-15。派手ではなくとも、最後まで走り切ったマシンを受け入れた後に、夜空に上がっていた花火が印象的なのです。

話は変わりますが8耐には、某芸能人の方が過去チーム参戦していた時期もあり、それがひとつのストーリーとして8耐を彩っていた時期があると思います。また、プライベート対ワークスのような図式などなど。そう考えると、今は周回数やラップタイムなど記録面が先行して、ストーリーが薄くなっているのかもしれないと思います。
もちろん、昔に比べてメディアを通じて出されている情報がかなり少ない部分もあるのかもしれません。
見る側の人にとって、感情移入をするきっかけが減っているというように考えられるかもしれないと思います。

ここまでのことから考えると、これからの8耐を始めたモータースポーツが、人を引き寄せるコンテンツであるためには、やはりよく言われるようにストーリーの存在が大切であるということだと思います。加えて、そのストーリーに多くの人が主体的に関わることのできる仕掛けづくりも大切かもしれません。
主体的に関わることができ、そこで自分なりにストーリーを感じる人がでれば、その人がストーリーテラーになって広めていくというような仕組みも考えられると思います。

そう考えたとき、モータースポーツについてモビリティランドさんの努力に乗るだけではなく、鈴鹿市もモータースポーツ都市宣言をしているまちとして、ストーリー造りの視点から取り組んでいくべきだと思います。
そういう動きの中で、フィルムコミッションということもありかもしれません。「汚れた英雄」を鈴鹿を舞台にリメイクなんていうのもありかもしれないですし、厳しい財政ですが、鈴鹿市内のチームを年度ごとに支援しながらそこに市民の参加もできるようにしてもらえるなどのような形も考えられないかと思います。ただし、どのような形にしても、市長がそこで積極的に表に出るということはなしで。するときは市民が主人公です。

どういう形になるかはわかりませんが、一つの課題として自分になりにも考えたいです。


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情熱大陸を見て

2012年09月03日 21時38分44秒 | Weblog
昨夜、情熱大陸で東大地震研究所の大木聖子(おおき さとこ)さんが取り上げられていました。東日本大震災後、テレビなどで出演されて魅力的な人だなと思っていたところだったので番組を見たのですが、見た目だけでなく、活動そのものがまっすぐで感銘をうけました。


地震で被害を受ける人、亡くなる人を一人でも少なくしたいという思い、単に研究だけでなく、そこで得た知識をアウトリーチでいろいろな人とシェアしていく姿は、地震研究者という面だけでなく、これからの子どもたちにとっても手本になる姿と思いました。

番組では、うまくいっている姿ばかりではなく、壁にあたっている状況、そのことに対して忸怩たる思いを持っていることを感じさせる場面もありましたが、それを過ぎて、自分にとってのミッションに取り組んでいる姿は、年下の人であるのですが、自分に重ねて考え直すことがありました。

日本に住む限り付き合っていくことになる、地震をはじめとした地殻活動を受け入れ、そのリスクを自分でどう低くするかということ、そのような知的活動も含めて、自分とつながる人や地域と、自分がどう向き合うのかを考えるきっかけを、次の世代の学びにとりいれるために、大木さんのような方の存在は非常に大切だと思います。

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期待と不安と

2012年09月03日 12時46分26秒 | Weblog
朝日新聞デジタルの記事で「ホンダ、軽スポーツカーの開発・生産再開へ」とありました。
http://www.asahi.com/business/update/0903/TKY201209020414.html
軽自動車規格のスポーツカーの開発は期待するところで、ビートがほしかった一人としては、小粋な感じでぜひと思います。

ただ、記事で気がかりになったのは、ホンダの伊東社長の言葉で「鈴鹿の工場を残せるかどうかは日本の製造業にとって試金石だ」と述べたとあることです。この言葉は企業としてのホンダさんはもちろんですが、日本、鈴鹿と影響の大きさを感じます。

基礎自治体としての鈴鹿は気を緩めてはいけないですね。

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総合防災訓練に参加して

2012年09月03日 12時09分01秒 | Weblog

総合防災訓練に参加して感じたことですが、市、県、自衛隊、近隣自治体、民間事業者などの連携で災害時の救援体制をとられていること、訓練をされたことは、非常に素晴らしいことだと思いました。平時に連携を確認する、連携があることを知るということは、非常時に向けて重要な作業であると思います。
しかし、大規模で広域な被害をもたらす災害が発生したとき、どれだけ初動で対応できるか、訓練時に揃えられている機器や人員がどれだけ有機的に働けるのか、また、同時に多発している緊急事案それぞれに、十分に配置できるかと考えると、残念ながら限界があるということも感じました。

例えば、土砂に埋まった車から救助する訓練が行われていました。


これを見て頂くと、車の中の人を救助するためにその何倍もの人が関わっていらっしゃることがわかるのではないでしょうか。このような事案が多発していたら、救助に必要な技能を持った人がどれだけの場面に立ち会うことができるでしょうか。
またこのように家屋が倒壊していたらどうでしょうか。

しかも火災が発生していたら。

そう考えると、やはり自分はどうする、家族は、地域は、と平時から考えることが大切だと思います。
消防学校では災害時のボランティアセンター運営の訓練も行われていました。被災後、どれだけスムーズにボランティアの方に活動してもらえる体制をとるかということは大切です。それは、昨年の夏、紀宝町で泥出しのボランティアをした際にも感じたことです。

また、鈴鹿市全体でのボランティアセンターの運営や災害対策本部の運営を考えることも大切です。
そして、それと同じくらい、自分の身近な地域で、どのように共助を行っていくかということ、それを支援するための地域の災害対策本部があることが大切ではないかと、災害ボランティアネットワークの南部さんとお話をしていて感じました。

このような訓練は、時としてイベントの面ばかりが目につくようですが、しかし、このような機会がなければ、災害時の知識を得ることもできないことも事実です。メディアを通したことばかりでなく、実際に足を運んでいただけるよう、また、そこで感じたことを話し合える場を作るよう、鈴鹿市として取り組むことは大切だと感じました。


余談ですが、鈴鹿市支給の防災服がもう少しデザイン性があればなぁ・・・と思うところです。
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