ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

ロシア 美術館めぐり⑨ ~ トレチャコフ美術館

2019年04月16日 | 海外旅行
ピョートル大帝がサンクトペテルブルクに都を遷してからロシア革命によってロマノフ王朝が終焉を迎えるまでの200年間を除き、12世紀以降、ロシアの政治・経済・文化の中心であり続けたモスクワ。最初に訪問したのは、イコン画やロシア絵画では最大の美術館、トレチャコフ美術館です。(写真中央の彫刻がトレチャコフ像)


19世紀のロシア人実業家パーヴェル・トレチャコフは、美術品は国民の財産であって一般に公開されるべきという信念の下、1856年、自ら蒐集したコレクションを自宅で一般公開しました。これがトレチャコフ美術館の起源です。


その規模は次第に拡大し、1880年代には14室もの展示室が、常時無料で一般公開されるようになりました。その後トレチャコフは、ロシア絵画1287点を中心とするコレクションをモスクワ市に寄贈。これを基に1893年、入場料無料の「モスクワ市立パーヴェル・セルゲイ、トレチャコフ美術ギャラリー」が開館し、トレチャコフは初代館長に就任したのだそうです。


ロシアの森林を愛し、森の風景を描くことが大好きだったと言われるイヴァン・シーシキン 『松林の朝』。Russia Beyondの記事によると、元々この絵にはクマは描かれておらず、後に別の画家によって描き加えられたものだそうです。何故そうしたのかまでは説明されていませんでしたが……。


イヴァン・クラムスコイ 『読書する女』。クラムスコイと言えば、ロシア美術館で観た写真ほどにも写実的な『イヴァン・シーシキンの肖像』が目に新しいです。


サンクトペテルブルクのロシア美術館に続きこのトレチャコフ美術館でも、ロシア美術の殿堂と呼ぶにふさわしい充実した絵画や美術品を堪能しました。


『民衆の前に現れたキリスト』 アレクサンドル・イワーノフが20年の歳月をかけて描いた大作です。


『ポンペイ最後の日(ロシア美術館所蔵)』を描いたカール・ブリューロフの自画像。


気持ちよさげに眠る犬と、りんごに手を伸ばす子供。可愛いですね。


傑出した海の描写で知られるイヴァン・アイヴァゾフスキーの部屋。一番手前は、嵐の海に翻弄される船を描いた『虹』。


静かな入り江を染める夕焼けのグラデーションが美しい絵でした。荒々しく激しい海が印象的なアイヴァゾフスキーも、こんな穏やかな海も描いていたんですね。


中央の絵は、コンスタンチン・フラヴィツキー 『皇女タラカーノヴァ』。女帝エリザヴェータの娘と僭称し独房に幽閉された自称「皇女タラカノーヴァ」が、サンクトペテルブルクの牢獄を襲う洪水になすすべもなく、助けもないことを悟った、絶望の表情を描いています。


ロシアの自然を描いた絵が多く展示された部屋。


トレチャコフ美術館にも、多くのイコンが展示されていました。


聖ルカによって描かれたと伝えられる『ウラジーミルの聖母』


ヴァレンティン・セローフによる『桃を持つ少女(Girl with peaches)』。トレチャコフ美術館でも、ロシア美術を題材にして子供たちの教育が行われていました。こうした光景はフランスやスペインの美術館でも何度も目にしましたが、教育の一環として小さい頃から本物の美術品に触れるのは素晴らしいことですね。


**************************

日本時間で今日未明、パリのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生し、屋根や尖塔が焼け落ちたと言うニュースに衝撃を受けました。発生から10時間後にはほぼ鎮火し、内部の文化財の多くは焼失を免れたと報道されていますが、映像を見る限り、かなりの損傷を受けているように思えます。バラ窓をはじめとする美しいステンドグラス、重厚なゴシック建築で華麗な装飾に包まれた外観は、今も私たちの目に焼き付いています。今後の復興や修復が円滑に進むよう願っています。

写友真はセーヌ川寄り、南西方向から見たノートルダム大聖堂。焼け落ちた屋根と尖塔が写っています。たった今見たネットの映像では、バラ窓は無事だったようです。

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする