およそ20年ぶりに訪れた京都・奈良のぶらぶら散策、最終日の午後は嵐山。天龍寺や竹林の道などを見て回りました。

保津川下りの舟を降りて、川沿いに渡月橋に向かいます。

渡月橋より少し上流側にある堰。後ろの紅葉した山が嵐山ですね。
地図を見ると、このあたりは「保津川」ではなく「桂川」と記載されていて、こちらの方が川全体の正式名称だそうです。長年、地域の生活に密着してきた川だけに、「桂川」という統一名は上流地域では馴染めないらしく、いまだに場所によって「上桂川」「保津川」「大堰(おおい)川」「桂川」と、その地域によって使い分けられているのです。保津川と呼ぶのは、亀岡流域の保津地区から保津峡の区間に限ってのことで、嵐山に入ると渡月橋の下流までは大堰川なのだとか……。京都を知らない私には難しすぎです(笑)
以前の記事で書きましたが、川の名前が変わるのは、「賀茂川」が高野川と合流した以降は「鴨川」と呼ばれるのと似ています。しかも、桂川は伏見付近でその鴨川と合流し、更に大阪と接するあたりで宇治川、木津川と合流して淀川となって大阪湾に注ぎます。

桂川右岸、下流側から見た渡月橋。
鎌倉時代、満月の晩に舟遊びされた亀山上皇が、月が橋の上を渡っていくかのような様子を見て「くまなき月が渡るに似る」と詠まれたことから「渡月橋」と呼ばれるようになりました。

渡月橋から続く通り(県道29号)を少し離れると、人の流れも減って静かな裏道。カフェなどの庭やお寺の境内の木々を眺めながら歩くことができます。

山吹色に色づいた大銀杏。この付近、土塀や石垣が印象的な道が続きました。

渡月橋から歩いて20分ほどで天龍寺に到着です。
写真左側の建物は、明治32年(1899年)建立の庫裏(くり)。七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持っています。

中央の曹源池を巡る池泉回遊式の曹源池庭園。約700年前の作庭当時の面影を留めると言われており、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。
諸堂(大方丈・書院・多宝殿)も入ってみたかったのですが、夕方までには京都駅に戻らなければならなかったので、庭園だけ見せていただくことにしました。

暦応2年(1339年)に創建された天龍寺の開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として、長らく京都五山の第一位とされてきた天龍寺は、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
写真は、釈迦如来坐像をお祀りする大方丈。国の重要文化財に指定される釈迦如来像は、天龍寺の創建よりも遥かに古い平安時代後期の作で、天龍寺が受けた8回の火災にも焼失しなかったそうです。

裏山の斜面を利用した、立体感と奥行きを感じるつくりとなっています。写真には写っていませんが、背後に嵐山をいただく曹源池庭園は、池泉回遊式であると同時に、四季折々の表情を見せる嵐山を借景を取り入れた庭園でもあります。

庭園の至るところでもみじが色づいていました。

木々の足元には杉苔がびっしり。

天龍寺を北門から出て、左に進むとすぐに、数万本の竹が生い茂る竹林の道に出ます。竹は空が見えなくなるほど背丈が高く、見上げると覆いかぶさってくるよう。ほとんど空も見えず、竹のトンネルを歩いているような錯覚に陥ります。

人の数の割に静かな竹林の小径。杉苔には吸音効果があるそうですが、竹林もここまで密集すると、音響を取り込んでしまう効果があるのかもしれませんね。

竹林の道を後にてくてく嵯峨嵐山駅まで歩いて、嵯峨野線で京都駅に戻りました。帰りの列車まで少し時間があったので、京都タワーに上ってみることに……。京都タワーはすぐそばに東本願寺があることから、「お東さんのろうそく」とも呼ばれるそうですが、京都の街を照らす灯台をイメージして建てられたのだそうです。

京都駅から真北に延びる烏丸通り。「今朱雀」とも呼ばれます。左に見えるのが、その東本願寺ですね。

京都タワービル1階の辻利で、ひと息つくことにしました。

私は京ラテ濃茶を、妻は京ラテ スムージー 八つ橋を注文。

あんこに生八つ橋のトッピングなんて、いかにも京都らしくていいですね~♪
実は、このあと事件が……。私が妻のスムージーを倒して、トッピングのクリームやあんこ、生八つ橋をぶちまけてしまったんです💦
改めて注文しなおそうとしたのですが、スタッフの女性が「もし差し支えなければ……」と、トッピングをもう一度作り直してくれました。テーブルを汚してしまっただけでも本当に申し訳ない思いだったのに……。旅の最後に心温まる経験をしました。
帰りの車内では、京都駅で買った柿の葉寿司をつまみ、旅の思い出をたどりながら、ゆったりと家路につきました。
京都・奈良の秋旅もこれで終わりです。長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました~ (^-^)ゞ

保津川下りの舟を降りて、川沿いに渡月橋に向かいます。

渡月橋より少し上流側にある堰。後ろの紅葉した山が嵐山ですね。
地図を見ると、このあたりは「保津川」ではなく「桂川」と記載されていて、こちらの方が川全体の正式名称だそうです。長年、地域の生活に密着してきた川だけに、「桂川」という統一名は上流地域では馴染めないらしく、いまだに場所によって「上桂川」「保津川」「大堰(おおい)川」「桂川」と、その地域によって使い分けられているのです。保津川と呼ぶのは、亀岡流域の保津地区から保津峡の区間に限ってのことで、嵐山に入ると渡月橋の下流までは大堰川なのだとか……。京都を知らない私には難しすぎです(笑)
以前の記事で書きましたが、川の名前が変わるのは、「賀茂川」が高野川と合流した以降は「鴨川」と呼ばれるのと似ています。しかも、桂川は伏見付近でその鴨川と合流し、更に大阪と接するあたりで宇治川、木津川と合流して淀川となって大阪湾に注ぎます。

桂川右岸、下流側から見た渡月橋。
鎌倉時代、満月の晩に舟遊びされた亀山上皇が、月が橋の上を渡っていくかのような様子を見て「くまなき月が渡るに似る」と詠まれたことから「渡月橋」と呼ばれるようになりました。

渡月橋から続く通り(県道29号)を少し離れると、人の流れも減って静かな裏道。カフェなどの庭やお寺の境内の木々を眺めながら歩くことができます。

山吹色に色づいた大銀杏。この付近、土塀や石垣が印象的な道が続きました。

渡月橋から歩いて20分ほどで天龍寺に到着です。
写真左側の建物は、明治32年(1899年)建立の庫裏(くり)。七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持っています。

中央の曹源池を巡る池泉回遊式の曹源池庭園。約700年前の作庭当時の面影を留めると言われており、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。
諸堂(大方丈・書院・多宝殿)も入ってみたかったのですが、夕方までには京都駅に戻らなければならなかったので、庭園だけ見せていただくことにしました。

暦応2年(1339年)に創建された天龍寺の開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として、長らく京都五山の第一位とされてきた天龍寺は、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
写真は、釈迦如来坐像をお祀りする大方丈。国の重要文化財に指定される釈迦如来像は、天龍寺の創建よりも遥かに古い平安時代後期の作で、天龍寺が受けた8回の火災にも焼失しなかったそうです。

裏山の斜面を利用した、立体感と奥行きを感じるつくりとなっています。写真には写っていませんが、背後に嵐山をいただく曹源池庭園は、池泉回遊式であると同時に、四季折々の表情を見せる嵐山を借景を取り入れた庭園でもあります。

庭園の至るところでもみじが色づいていました。

木々の足元には杉苔がびっしり。

天龍寺を北門から出て、左に進むとすぐに、数万本の竹が生い茂る竹林の道に出ます。竹は空が見えなくなるほど背丈が高く、見上げると覆いかぶさってくるよう。ほとんど空も見えず、竹のトンネルを歩いているような錯覚に陥ります。

人の数の割に静かな竹林の小径。杉苔には吸音効果があるそうですが、竹林もここまで密集すると、音響を取り込んでしまう効果があるのかもしれませんね。

竹林の道を後にてくてく嵯峨嵐山駅まで歩いて、嵯峨野線で京都駅に戻りました。帰りの列車まで少し時間があったので、京都タワーに上ってみることに……。京都タワーはすぐそばに東本願寺があることから、「お東さんのろうそく」とも呼ばれるそうですが、京都の街を照らす灯台をイメージして建てられたのだそうです。

京都駅から真北に延びる烏丸通り。「今朱雀」とも呼ばれます。左に見えるのが、その東本願寺ですね。

京都タワービル1階の辻利で、ひと息つくことにしました。

私は京ラテ濃茶を、妻は京ラテ スムージー 八つ橋を注文。

あんこに生八つ橋のトッピングなんて、いかにも京都らしくていいですね~♪
実は、このあと事件が……。私が妻のスムージーを倒して、トッピングのクリームやあんこ、生八つ橋をぶちまけてしまったんです💦
改めて注文しなおそうとしたのですが、スタッフの女性が「もし差し支えなければ……」と、トッピングをもう一度作り直してくれました。テーブルを汚してしまっただけでも本当に申し訳ない思いだったのに……。旅の最後に心温まる経験をしました。
帰りの車内では、京都駅で買った柿の葉寿司をつまみ、旅の思い出をたどりながら、ゆったりと家路につきました。
京都・奈良の秋旅もこれで終わりです。長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました~ (^-^)ゞ