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都電の両側はバラでいっぱい!

今日の東京は晴れ
家人と雑司ヶ谷で昼食(後述)の後、腹ごなしを兼ねてバラが見頃になった大塚に行ってみました。

大塚駅の南口から春日通りに向かう線路敷きの両側には 地元のボランティアの人たちが管理する 500種710株のバラが今を盛りと咲いていました





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SAYAMA  みえない手錠をはずすまで

1963年に狭山市で起こった女子高生誘拐殺人事件=「狭山事件」の「犯人」として石川一雄さんが逮捕されてから 50年以上の月日が流れました。 いったんは死刑判決が出されましたが、2審で無期懲役となり、その後仮出獄から19年を経て、石川さんは『無実』を訴えて いま第3次の再審請求を行っています。
私が「狭山事件」と出会ったのはまだ高校の頃で、当時 東京高裁で無期懲役の判決が出たことを覚えていますが、満足な証拠調べもないままに極刑を下した背景には、直前にあった「吉展ちゃん事件」で犯人を取り逃がした失態を糊塗するため、「狭山」では何があっても生きたまま「犯人」を捕まえねばならないとの焦りから、犯行現場近くの被差別に対する見込み捜査があったと言われています。

映画の中では 声高に「差別裁判」を訴えるのではなく、出獄後結婚した早智子さんとの日常を切り取る中で、日々を凛として生き抜く姿が伝わってきます。




昨日 池袋では上映後 石川さんご夫妻と、映画を撮った金聖雄監督もサプライズ・ゲストで舞台挨拶

石川一雄さんは、1審・死刑判決の後、東京拘置所に移管された当初、小学校にも通えずに読み書きができなかったため、自分に下された死刑判決の意味も理解できていなかったのですが、「たまたま担当にあたった刑務官から彼が異動するまで 8年間にわたって文字を教えてくれたことで いまの自分がある。今でもその方と交流がある」と語っていましたが、そんな話は40年以上「狭山」と付き合いのある私も初めて耳にすること。

この3月には1966年清水で起こった袴田事件でも 静岡地裁は「拘置、耐え難いほど正義に反する」と異例のコメントを付して再審が決定しましたが、「狭山事件」でも裁判所は早期に全証拠を開示して、真っ当な判断を示していただきたいと思います。

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