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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 津軽三味線のあと

「あどはだり」の津軽三味線の余韻を楽しみながら、弘前の街を散策

昼にもみた「日本聖公会 弘前昇天教会」も 綺麗にライトアップ

やっぱり地方都市は余計な灯りがないので、夜空が綺麗

何も構えずにスマホで撮っただけなのに、倉庫の上に星が並んでいます



奈良さんのワンコもれんが倉庫の中から顔を見せていました


明日は旧市街から弘前城を訪ねてみます
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 津軽三味線のライブに、、、あどはだり

前の記事に書きましたが、事前に調べていた津軽三味線のライブが聴けるお店はなんと「臨時休業」
一旦宿に戻ってWebで調べて(食べログの評価は必ずしも高くはなかったのですが、とりあえず今日開いているお店…ということで)、宿からほど近い「あどはだり」さんに電話で予約。

津軽三味線のライブは7時からというので、6時過ぎに入店。それなりに広いお店ですが、お客はカウンターに一人…
一抹の不安を覚えながら、地元のオジサンらしい人に「ソーシャル・ディスタンス」を取りながらカウンターへ…マスク越しなので年齢はよく分かりませんが、女将さんとオジサン(あとで地元のリンゴ農家のオジサンと判明 )の津軽弁の会話をBGMにしながら、まずは目についた「海鞘の酢の物」

おぉ、かなり美味しいじゃないですか!


チョッと珍しい「茗荷の田楽」なんかもアテにしてたら、「飲み比べセットの方がお得ですよ!」って女将さんのお勧めに従って、「八仙 あどはだり 豊杯」の飲み比べ
興が乗ってきたところでお店の名前にもなっている「あどはだり」の意味を尋ねると、「あど」は「あと・後」の意味で「はだり」は「おねだり」、つなげると「あとねだり=もう一曲=アンコール」ってことでした。ちなみに清酒「あどはだり」は黒石の蔵元で、意味は当然「もう一杯」ですね



そうそう、お品書きで気になったのが『嶽きみ』と『毛豆』???
『嶽きみ』は、岩木山麓の標高数百メートル、1日の寒暖差10℃以上の「嶽地区」でたっぷり糖分を蓄えて育って香り高いとうもろこし=「嶽きみ(だけきび)」のことで、糖度は18度以上   『毛豆』とは、想像どおり「枝豆」でした。次の機会に頼んでみます

力強い津軽三味線のライブに小腹も空いてきたので、青森のソウルフードの「イガ メンチ」に、、、

鮭のハラスなんかを頼んでたら、予定の時刻にはだいぶ早いのに、興が乗ったか女将さんの第2回目の津軽じょんがら

五能線の車内でも聴きましたが、やっぱりお酒を飲みながらの津軽三味線、いいですね

津軽路居酒屋あどはだり(https://adohadari.com/)

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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 弘前は湧水のまち

最勝院門前から夕ご飯を予定していた津軽三味線のライブが聴ける居酒屋を事前にチェックしようと、緩い坂を下って土淵川あたりに差し掛かると、目の前に弘前鉄道大鰐線の踏切。
左手の中央弘前駅には東急7000系のような車両が停まっています。

踏切を越えて緩い上りになったあたりに「水屋」がありました

中をのぞいたら、綺麗な湧水がこんこんと湧いています


立派な標柱に「富田の清水(しっこ)」

さらに先の水屋の横に建つ「御膳水」の看板には、要旨「貞享3年(1686年)12月、4代藩主津軽信政は和紙の生産には良質の水が大量に必要な為、城下の中でも最も多くの清水が湧き出る「富田の清水群」にあたりをつけ、そこに「紙漉座」を設けた…」更に「明治14年(1881年)の明治天皇東北巡幸の際、この清水がお茶や料理の用水として使用されたことから「御膳水」と命名され」た、とありました。




さて、事前に調べていた津軽三味線のライブが聴けるお店まで行ったら、なんと「臨時休業」の貼紙
チョッピリ打ちのめされましたが、一旦宿に戻ってWebで調べることにしました


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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 (卯歳一代様の最勝院)

今回は行ってませんが、弘前城南方の「禅林街」は別名「禅林三十三ヶ寺」と呼ばれるくらい多くの寺院が立ち並ぶ一角がありますが、今回訪れた「最勝院」はそこから少し東の方、今の弘前の中心街に近い方に位置します。
れんが倉庫美術館のシードルで喉を潤して、歩いて10分ほどのところにある最勝院へ、、、

弘法大師御入定壱千百五十年御遠忌(1984年)に先立って、昭和53年(1983年)に建立された「新仁王門」の山号の下に掲げられた「卯歳一代様」とは、津軽では自分の生まれ年の干支を祀る寺社を守り神としてお参りする風習があって、「津軽一代様」と呼ばれます。ここ「金剛山光明寺最勝院」の本尊=文殊様が卯年の守り神にあたるそうで、「卯歳一代様」と書かれています



新仁王門の左手にそびえる五重塔は、津軽藩3代藩主津軽信義、4代津軽信政の寄進により、前後10年以上をかけて寛文7年(1667年)に建立。方3間、総高31.2m、国の重要文化財指定の五重塔としては日本最北端に位置します。


なかなか美しいですね


カメラを構えていたら、小枝の先にトンボ


季節は秋に変わりつつあります


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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 (CAFE&RESTAURANT BRICK)

美術館の左隣に建つ「CAFE&RESTAURANT BRICK」
青森県の名産と言えば「リンゴ」ですが、こちらでA-FACTORY弘前吉野町シードル工房のシードルがいただけると聞いて、美術館のあとに立ち寄ってみました



本館もそうですが、高い天井

3種飲み比べか、日替わりで供される「樽生シードル」のどちらか迷った挙句、「樽生シードル」をお願いしました

出て来た「樽生シードル」は家でも赤ワインに使っている大きめのグラスにオンザロックで出てきます



館内はもちろん冷房が効いていますが、炎天下歩いてきた喉に心地よい刺激

あっという間に飲み干したい衝動を抑え、チビリチビリと味わいました



手許の時計をみたら、まだ3時過ぎ。宿に戻るには早いので、美しい五重塔があるという最勝院を訪ねてみます
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 れんが倉庫美術館(その2)

正面から入ってすぐ左に、奈良美智さんの「ワンコ」がお出迎え

その先の受付けを済ませ、ゆったりとしたエントランス・ロビーの先が第1展示室。
酒造倉庫をリノベーションした、レンガ倉庫美術館の第1室は「Thank You Memory — 醸造から創造へ —」に相応しく酒造倉庫の時代、実際に使われたいたモノやその時代を映した新聞などのコラージュ










第2室は、昔の醸造工程を模した配管などが立ち並ぶ不思議な空間の先に、この美術館に関わった人たちが「ねぷた」を模してオブジェとなって並び、さらにその上の空間を2階の糸を使ったアートの槍みたいな糸巻きが飛び交う異空間











糸巻きの飛び交う空間の下は、世界各都市で収集した古布で拵えられた各都市の模型が、糸で世界地図に繋がっています




第2室の先が奈良美智さん。理由がよく分かりませんが、ここだけはデジカメ禁止でスマホ・タブレットOK。











続く第4室も現代アート。 う~~ん、ちょっと よく分かんないかも??

なぜ 畳に爪楊枝が刺してあるかって?? それがアート


「出口」と書かれた先にもバスタブや洗濯もののような「アート作品」





時代を経た小屋組みが綺麗

その先のライブラリーには 地元で生まれ育った奈良美智さんが影響を受けた書籍が「リンゴ箱」を模した本箱に収められ、自由に閲覧することも出来ます











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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 いよいよ弘前れんが倉庫美術館

夕刊の美術の特集ページで、酒造倉庫として使われていた煉瓦造の建物が美術館にリノベーションした…との記事を読んで、「いつか行ってみたいなぁ」と思っていたのはいつ頃だったでしょうか?
それがひょんなことから、五山送り火が中止になった代わりの旅行先に、当初は不老ふ死温泉と奥入瀬を考えていながら、昔と違って奥入瀬に入るバスの本数の激減で、どうやり繰りしても奥入瀬渓流をのんびり散策することが叶わなくなりそうなとき、その記事を思い出し、2日目の行先を奥入瀬から弘前に変更して、今回の旅行になりました。

今回行ったのは、「開館記念 春夏プログラム Thank You Memory — 醸造から創造へ —」と題して、奈良美智をはじめ、内外のアーティストの競作を目にすることが出来ました。
 ※プログラムの詳細は、https://www.hirosaki-moca.jp/exhibitions/thank-you-memory/

宿に荷物を預け、近くの「弘前中央食品市場」でチョッと遅めの昼食を済ませてから美術館に向かう途中に建つレンガ造の教会は、1920年(大正9年)に建設された「日本聖公会 弘前昇天教会」。


築地居留地に立教大学校を建設し、後に京都の聖ヨハネ教会教会堂や 横浜の外交官の家、明治学院のヘボン館などを設計したジェームズ・ガーディナーの設計です。
教会に沿って回り込んだ先の公園の先に建つのが、今回の目的地「吉野町煉瓦倉庫」です。




吉野町煉瓦倉庫(または「旧吉井酒造煉瓦倉庫」)は、1907年(明治40年)から1923年(大正12年)頃にかけて建設された日本酒の醸造・貯蔵のために作った工場・倉庫群。政府米の保管庫として1978年(昭和53年)から1997年(平成9年)までの間使用されたのち、保存・活用を求める動きに 弘前出身の奈良美智さんらが応え、いまのような美術館になりました。





館内は奈良美智さんのコーナーを別にして撮影OK! 詳細は次の日記に続きます。
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 五所川原から弘前へ

津軽三味線のライブを愉しんでいるうちに、列車は五所川原に到着

海岸線から時計回りに北側=津軽半島の先端に近い方から五所川原に入るので、地図上では東になる車窓の左側に、ストーブ列車で知られる津軽鉄道の津軽五所川原機関区が見えてきました。
無蓋貨車やタンク車に交じって1989年にJR東日本から譲渡された「津軽鉄道キハ22」が留置されています。



1枚目の写真左手奥の建物から頭が見えているのは、その独特の形からしてラッセル車(キ100)のようですし、その右には客車も停まっているのが確認できますが、塗装も剥がれかけ、兵どもが夢の跡…って風情なのはチョッと哀しいですね

列車はさらに五能線の終点「川部駅」で方向転換、奥羽本線に入りますが、お隣りの難読駅名の一つ=撫牛子(ないじょうし)駅を通過して、私の旅の第2の目的地、弘前に到着
弘前駅のコンコースに「疫病退散」を祈って、青森・弘前・五所川原それぞれ特徴のあるねぶた(ねぷた)の「三体揃い踏み」

青森ねぶた、弘前ねぷた、五所川原は立佞武多(たちねぷた)。
写真は撮れませんでしたが、五所川原駅前には20mの高さの倉もありました


宿に荷物を預け、近くの「弘前中央食品市場」でチョッと遅めの昼食。

列車の中のWi-Fiで調べたら、「市場の中のお店で好みのおかずと白ご飯を買って、イートイン・スペースで自分だけのスペシャル定食が食べられる…」とあったので、それを期待して来たら、ほとんどのお店が休業中、、、あまりの侘しさに写真を撮るのも躊躇われて…唯一「普通」にやっていた(と言っても客は0)中華そば「山田」さんのオバチャンに事情を尋ねながら、「昔ながらの中華そば」をいただきました



煮干しベースの昔ながらの中華そば、美味しくいただきました
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 五能線の旅の続き(その2)

ウェスパ椿山を出た列車が半島に沿って深浦へ向かう途中から 水田に替わって海岸線が迫ってきて、海の荒れる冬場は列車に飛沫が掛かるほど、、、










今日乗車した「橅編成」は車内の売店も営業していて、地元の銘酒も何種類か楽しめます


車窓左手に深浦の漁港をみながら進んでいきます



深浦の先の「千畳敷」は、寛政4(1792)年の地震により隆起して出来た岩床の海岸で、その昔、殿様が千畳の畳を敷き酒宴を催したといわれる岩棚が広大に続きます





この辺りで深浦から乗車した津軽三味線のライブ演奏

山頂付近には雲が掛かっているのが残念ですが、車窓右手には岩木山遠望できます


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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 今日は 五能線の旅の続きです

定刻の10:40「リゾートしらかみ1号」(橅編成)が入線





HB-E300は前に長野で乗った「リゾートビューふるさと」など、長野地区の他、今回の秋田・青森地区、新潟地区などでも運用される観光列車。ゆったりしたシートや広い窓など、旅の気分をアップしてくれる列車です。



乗車前に買った飲み物を開ける頃には、車窓には青々とした稲穂の先に日本海が見えてきました  





昨日の写真はほとんどスマホでしたが、光の加減も今日は順光。
五能線の旅、北半分では"FUJIFILM X70"も活躍してくれそうです
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