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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 お土産は、、、「青森のぜいたく弁当」

「小唄寿司」はチョッと残念でしたが、PR誌によれば、「青森のぜいたく弁当」は、豊かな海の幸・山の幸に恵まれた青森の食材を生かし、「青森の幸を一つのお弁当にしたい」という想いから生まれたお弁当。海峡サーモンにぎりと八戸前沖鯖にぎりが脇を固め、真ん中には、青森県産鶏の唐揚げ、八戸前沖鯖の竜田揚げ、三沢産ごぼう漬けなど、ご飯・おかずのバランスの取れた人気の駅弁

写真は帰宅してから食卓でパチリ

左側、海峡サーモンにぎりです。4つ並んでいるうちの手前の2つは茎ワサビ、奥はクリームチーズとオニオンで、味に変化を付けています。
真ん中のおかずです。奥の揚げものの左が八戸前沖鯖 竜田揚げ、右側が県産どり唐揚げです。真ん中は八戸前沖鯖三沢産ごぼう入り昆布巻き、一番手前側は三沢産ごぼう漬けです。
で、右側のにぎりは八戸前沖鯖にぎりです。手前側が特製ピリ辛ダレ、奥が田子産にんにくみそです
素材の味を活かした「小唄寿司」も美味しいですが、後発の駅弁だけに味付けなど変化を付けてきていますね

ツレへのお土産ですが、シェアして美味しくいただきました



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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 旅先でこんなの見つけた…トイレの看板

時系列は逆になっちゃいましたが、早めの食事を済ませトイレに寄った時に目に入った「注意書き」のポスター


「和式厠所的使用方法」で検索したら、中国語で「日本的洗手間情況」と題してこんな案内がされていました。

私たちも今でこそ腰かけスタイルの便器で迷うことはありませんが、こんなポスターが貼られているところを見ると、まだ迷って色々な使い方をする人がいるのでしょうね!大分前ですが(2004年)中国に行った時、バスで移動する途中の休憩所のトイレのあまりの凄さに小用すら躊躇ったのを思い出しました(笑)
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 最終日のランチは…

宿から歩いて弘前駅まで来たものの、結局 適当なお店が無いので、弘前駅で暫し思案…
ここでじたばたしても仕方ないので、とりあえず新青森まで列車で移動することに、、、

時間に余裕はあったので、1本前の「はやぶさ」に変更しようかとも思いましたが、「えきねっと」に上手く入れないのと、「トクだ値50」の割引が使えなくなるので、新青森駅で時間調整
そうこうする内、朝が軽くてお腹が空いてきたので、チョッと早めの昼ご飯

駅構内にいくつかある食堂はあまり変わり映えはしませんが、背に腹は代えられません

ラーメンも美味しそうでしたが、ここは青森、どうせなら海鮮で…と思っていただいたのが「数量限定の海峡海鮮丼」




マグロと海峡サーモンの他に白身のお刺身が1品とお椀が付いて1千円ってのは、青森の市場価格に比べればチョッと高いですが、まぁ観光+ビジネス客相手の商売ですから こんなもんでしょう

お腹もくちくなったので、ツレへのお土産兼夕ご飯…と思って、八戸の「小唄寿司」を探しましたが、商品が変わっちゃってるんです。元々の小唄寿司は三味線のバチ型のヘラで切って食べるようになっていたのですが、お店にあったのは「一口大の押し寿司」

上が昔からの「小唄寿司」
下は「小唄寿司」を騙る「一口大の押し寿司」

これは「小唄寿司」じゃない! それに値段も高くなってる!

って訳で、往路の「はやぶさ」の車内誌にあった「青森のぜいたく弁当」を土産に列車に乗りました。
お伴は「青森県産ふじりんご」の缶酎ハイ ”NIPPON PREMIUM” いい夢が見られるかなぁ

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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 旅先でこんなの見つけた…東奥日報号外

1974(昭和49)年8月25日号外掲載、「むつ」母港で足踏み

原子力船「むつ」を、洋上出力試験に反対する漁民の船が包囲。深夜、しけで漁船が離れた隙を突き「むつ」は出港したが、放射線漏れ事故をおこすことに。
東奥日報2020/8/25朝刊「とうおう写真館」から
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 旅先でこんなの見つけた…元東急7000系

BRICKの朝ご飯は残念でしたが、宿に戻る途中で思わぬ拾い物

高校時代、通学でお世話になった「東急7000系」

1962年デビューの地下鉄日比谷線の相互乗り入れを前提にした車両で日本初のオールステンレス製

当時は東急カラーの赤い横線が入っていましたが、弘南鉄道大鰐線ではブルーのラインなんですね!

回り込んで正面から見上げると北国らしくスノープラウが標準装備

足回りが凛々しく見えます

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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 旅先でこんなの見つけた…看板

弘前公園そばの旧第八師団長官舎のSTARBUCKSで一服してから、れんが倉庫美術館隣のCAFE & RESTAURANT BRICKで朝ご飯を食べようと思って、街なかを移動する途中の一コマ


登録有形文化財にもなっている建物の一角にある煮干しがウリのラーメン屋さんの看板
昨晩 気づいていたら〆のラーメンにしたにのが…残念

さらにホテルの前の通りで見かけた透かし彫りの看板
こっちは「花屋さん」

こちらは「電気屋さん」らしいですね

で、BRICKに着いたら、、、何とお休み  火曜定休だったのを忘れてました。
不幸中の幸いでSTARBUCKSで底は入っているので、一旦宿に戻って他を当たります
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 旧第八師団長官舎のSTARBUCKS

弘前公園の南西側の市民会館口から出た先にある「藤田記念庭園」は、1919年に実業家・藤田謙一が造った庭園で、洋風庭園と池泉回遊式庭園を融合させたお庭と、国の登録有形文化財に指定されているいくつかの建物群がありますが、こちらも朝早くてオープン前だったので、次回のお楽しみ

チョッと一休みに立ち寄ったのは、前から目星をつけていた「国登録有形文化財のスタバ」
いまはSTARBUCKSの入る「旧第八師団長官舎」の設計は、弘前で数多くの近代建築を残している堀江佐吉一家の長男・堀江彦三郎。桁行8間半,梁間5間半,平入のハーフティンバー風洋館で,外壁はモルタル塗,妻面などに欄間付上げ下げ窓を配する。袴腰型屋根の前面3箇所にドーマー窓を設け,玄関部に切妻破風のある大正期の建物




因みにこの旧陸軍第8師団は、日清戦争が終り、軍備拡張の必要性から増設された6個師団の一つで、兵士はおもに東北地方出身者から構成された部隊ですが、1902年(明治35年)1月、八甲田山における雪中行軍訓練で、死者199名といういわゆる「八甲田雪中行軍遭難事件」で知られることになりました。

そんなことはさておいて、店内は大正時代の意匠を活かした内装で、ゆったりと珈琲(+小腹が空いたので ソーセージ・マフィンも)がいただけました








小腹を満たして市役所前の通りに出ると、お濠の桜並木越しに岩木山


また来たい町が増えてしまいました
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不老ふ死温泉から弘前れんが倉庫美術館 弘前城

朝5時頃、ホテルの窓から見た岩木山(1625m)

塗装工事中の電波塔がチョッと鬱陶しいですね
弘前側からみた右が巌鬼山(岩鬼山)、左が鳥海山と呼ばれるそうです。

昨日行った「れんが倉庫美術館」の隣の「BRICK」で朝ご飯を食べようと思って、その前に重文の青森銀行記念館や図書館など古い建物が残る一角にはミニチュアの建物もあって それらを見ながら、お城まで朝の散歩











市役所に面する追手門口。
「追手門」と書いて「オオテモン」と読みますが、弘前公園の正面玄関とも言える門です。お堀端にはず~~~~っと先まで桜並木。桜の時季はさぞ綺麗なことでしょう
そういえば、「あどはだり」で一緒になったリンゴ農家のおじさんや女将さんも口をそろえて「弘前の桜が一番きれいだ」と言っていました

築城当初10棟の城門がありましたが、現存する他の4つの門同様、この追手門も2層の櫓門







中のお濠に架かる「すぎのおおはし」


お濠の水は綺麗で バイカモ?みたいな水草が花を咲かせていました



登校時間にはまだ早いようですが、部活でもあるのかな? 自転車通学の高校生が櫓門の下を駆け抜けていきます
東北地方で唯一天守の残る弘前城ですが、本丸一帯の有料区画の開門は9時なので、今日はここまで。次の機会にとっておこうっと
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