平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

天地人 第44回「哀しみの花嫁」

2009年11月03日 | 大河ドラマ・時代劇
 「哀しみの花嫁」

★兼続(妻夫木聡)は米沢の田畑、街並みを見ながら政宗(松田龍平)に言う。
 「あまりに多くのものを失いましてございまする。されど、何としても造り上げたかったのが……」

 ついに兼続の守りたかったものが明らかになりましたね。
 それは<民の幸せ><豊かな国づくり>。
 そのためには<義>も<上杉家の誇り>も関係ない。

 これはひとつの見識だと思います。
 僕も<義>に殉じることより数倍いい生き方だと思いますし。
 ただ終盤44話になって気づくというのはいかがなものか。
 もっと前からこの形で兼続を描いていたら、これまでの主人公像の混乱、破綻はなかったのに。
 これは一年を通して兼続をどう描くかというプランが作家の中に出来ていなかった結果。
 大河ドラマはある意味、主人公の成長物語。
 この事件が起きて主人公はこう考え、こう成長した、あの事件でこう考えを改めたといった点が描かれていないと、感情移入が出来なくなってしまう。
 この44話までに兼続はいろいろ迷っていたのかもしれませんが、視聴者の目には信念もなく情況に流されてフラフラしているように見えていましたからね。

★さて今回はお松(逢沢りな)の婚礼と死。
 後半の兼続の気づきの伏線となるエピソードになっている。
 すなわち、政治・権力争いより家族や人との絆。
 政治的な動きをする本多の婿・政重(黄川田将也)、改め“直江勝吉”に対し、兼続たちはあくまで家族、人の繋がりとして接しようとする。
 お松は「まことの夫婦になりたい」と言い、竹松(加藤清史郎)は直江を継げなかったことで恨むことなく「兄上」と呼ぶ。
 兼続も「そなたはわしの身内だからだ」と鉄砲鍛冶の現場を見せる。
 兼続たちにとって勝吉は政治の道具でなく、家族なのだ。
 それがこの作品が<ホームドラマ>と言われる所以だが、後半兼続が政宗に語る先程のせりふともリンクしている。
 すなわち政治(天下)よりも民の幸せ。民の幸せとは家族や人の絆。
 天下を取ることよりも人の絆を作ることの方が大事なのだ、というテーマ。
 やっと作家が描きたいことが見えてきましたね。

★ところでお松は幸せに死んでいったのでしょうか?
 「勝吉さまと夫婦になれて幸せでした」と言って死んでいったが、お松は勝吉と心通わせたわけではない。
 やったのは「絆とは相手に何をしてあげられるかを想い続けること」という言葉を信じて、小袖を縫ったこと。
 無償の愛、報われなくても思い続けられる相手がいただけで幸せということでしょうが、<きれいごと>を言ってる感じもする。
 「私は政治の道具にされて人生を台なしにされた」とでも言えば、ハードなドラマになったのに。

 「天地人」は甘くゆるいドラマだ。
 それは先週の実頼の改心もそう。
 誰もがみんな物わかりがよくて、愛憎うずまくということがない。


コメント (9)
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