★龍馬(内野聖陽)が無私の仁(大沢たかお)に言った言葉。
「国のため他人のためときれいごとを言うが、実は人は欲でがんじがらめじゃ。みんな、金のため名前のために生きている。わしだってそうじゃ。生まれてきたからには何かをやりたいと思うからがんばっている。欲は生きる源じゃ。先生のやっていることは仏、死人のやっていることじゃ」
<欲は生きる源>
欲望を持つのが生きている人間なんですね。
欲を否定して無私に生きろなんてきれいごとは言わない。
国のため他人のためなんて言っている人間の裏には欲がある。
僕もこの人間観に共感します。
そう言えば、同じ内野聖陽さんが演じていた「風林火山」の山本勘助も同じ様なことを言っていました。
信玄や勘助、武田家は<人間>の立場で戦っていたんですね。
一方のライバル上杉は<義>。
「風林火山」の謙信は毘沙門天の使いでまさに神様、仏様でした。
自分が人間、<欲望>の存在であること。
これを知ることは生きる上で大切なことですね。
ここから自分はどう生きるかを考えるようになる。
★また悩むのも人間。
咲(綾瀬はるか)や恭太郎(小出恵介)は悩む。
「私は何のために生きているのでしょう」
「役立たずは私も同じだ」
「野風さんがうらやましい」
「生まれ持った器は何とも出来ない」
こうやって自分の小ささ、劣等感に悩むのも人間。
そして
「小さなことにくよくよ悩んでいても拉致が開かない」
「小さな盃にもいいものがある」
と思って生きていくのが人間。
★この作品は<人間>が描けていますね。
それは刺客に襲われ、恐怖で震えるのもそう。
死を恐怖し、自分の欲望にふりまわされ、劣等感に傷つく。
これが人間。
同じ曜日なので、どうしても比較してしまうが、「天地人」の兼続は<ロボット>に見える。
人間らしい欲望は全然ないし、自分の情けなさや劣等感に悩むこともない。
失敗もしない。あるいは失敗であっても自分には失敗という認識がない。
つまり全然血が通っていないんですね。
「JIN」では切れば血の出る人間、つらければ涙を流す人間が溢れている。
こういう人間がたくさん出て来るドラマを見たい。
※追記
今回は「たんぽぽ」がうまい小道具になっていましたね。
「たんぽぽ」は吉原の外の象徴。自由の象徴。咲の象徴でもある。
野風(中谷美紀)がたんぽぽを見るだけで、その気持ちが伝わってくる。
実にうまい小道具です。
「国のため他人のためときれいごとを言うが、実は人は欲でがんじがらめじゃ。みんな、金のため名前のために生きている。わしだってそうじゃ。生まれてきたからには何かをやりたいと思うからがんばっている。欲は生きる源じゃ。先生のやっていることは仏、死人のやっていることじゃ」
<欲は生きる源>
欲望を持つのが生きている人間なんですね。
欲を否定して無私に生きろなんてきれいごとは言わない。
国のため他人のためなんて言っている人間の裏には欲がある。
僕もこの人間観に共感します。
そう言えば、同じ内野聖陽さんが演じていた「風林火山」の山本勘助も同じ様なことを言っていました。
信玄や勘助、武田家は<人間>の立場で戦っていたんですね。
一方のライバル上杉は<義>。
「風林火山」の謙信は毘沙門天の使いでまさに神様、仏様でした。
自分が人間、<欲望>の存在であること。
これを知ることは生きる上で大切なことですね。
ここから自分はどう生きるかを考えるようになる。
★また悩むのも人間。
咲(綾瀬はるか)や恭太郎(小出恵介)は悩む。
「私は何のために生きているのでしょう」
「役立たずは私も同じだ」
「野風さんがうらやましい」
「生まれ持った器は何とも出来ない」
こうやって自分の小ささ、劣等感に悩むのも人間。
そして
「小さなことにくよくよ悩んでいても拉致が開かない」
「小さな盃にもいいものがある」
と思って生きていくのが人間。
★この作品は<人間>が描けていますね。
それは刺客に襲われ、恐怖で震えるのもそう。
死を恐怖し、自分の欲望にふりまわされ、劣等感に傷つく。
これが人間。
同じ曜日なので、どうしても比較してしまうが、「天地人」の兼続は<ロボット>に見える。
人間らしい欲望は全然ないし、自分の情けなさや劣等感に悩むこともない。
失敗もしない。あるいは失敗であっても自分には失敗という認識がない。
つまり全然血が通っていないんですね。
「JIN」では切れば血の出る人間、つらければ涙を流す人間が溢れている。
こういう人間がたくさん出て来るドラマを見たい。
※追記
今回は「たんぽぽ」がうまい小道具になっていましたね。
「たんぽぽ」は吉原の外の象徴。自由の象徴。咲の象徴でもある。
野風(中谷美紀)がたんぽぽを見るだけで、その気持ちが伝わってくる。
実にうまい小道具です。