平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

天地人 第45回「大坂の陣へ」

2009年11月10日 | 大河ドラマ・時代劇
 「大坂の陣へ」

 景勝(北村一輝)は亡き謙信について、仙桃院(高島礼子)にこう評した。
 「死を怖れず、潔く、弱きを助けた人」。
 謙信と比べておのれの不甲斐なさを嘆いている景勝。
 彼は自分のことを先程言ったことの裏返しで
 「死を怖れ、潔くなく、弱きを見捨てた人間」と見ている。
 確かに景勝は身を守るために弱き豊臣家を見捨ててますからね。
 自分は謙信公と比べて駄目な人間だと思うのは当然といえば当然。

 でもまあ、僕はそれは仕方がないと思うのですよ。
 景勝の時代は群雄割拠の謙信の時代とは違う。
 天下の大勢は決まり、歯向かえば滅ぼされる時代。
 そんな情況で滅びの道に進むのは愚か。
 人間、どんなきれいごとより生きることが大事だと思うから。

 もちろん、毛利輝元(中尾彬)が語ったように関ヶ原など逆転のターニングポイントはあった。
 だが、それを活かせなかったのはやはり景勝の力量不足。
 謙信だったら西軍の毛利のような立場で絶大な求心力を持てたかもしれないし。

 仙桃院は景勝のことを「謙信公を越えた」と言ったが、それは間違いですね。
 力量が劣っていたが、何とか上杉を生き残る所まで持っていったというのが正しい景勝の評価でしょう。
 だから仙桃院には「劣っていたが、上杉を生き残らせたのはそなたのおかげ」と言わせるべき。
 この点、この作品の作家はウソをついて誤魔化している。
 大河ドラマの爽快さということにこだわったのだろうが、<歴史の大きな流れの中で何とか生き残った人物>というあまり英雄とは言えない人物が描かれてもよかったのではないか。

 ただ今回評価するのは、豊臣攻めをきれいごとにしなかったこと。
 <豊臣攻めこそ義><世の中の安寧のための行為>みたいな論理を展開していたら、これはひどい。
 あくまで大坂の陣は家康に屈した情けなさ、悔しさの中で行われなけばならない。
 当たり前といえば当たり前のことなのだが、この作品には何事も<義>で正当化してしまう所があり得ますからね。さすがにそこまでしなかったかという感じ。

 ところで兼続(妻夫木聡)。
 もみじの家臣がまた出て来ましたね。
 <一身を賭けて幹を守る>。
 確かに兼続は上杉家という幹を守ってきた。
 この点では兼続のキャラクターはブレていませんでした。


コメント (8)
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