清盛(松山ケンイチ)は、日宋貿易・宋銭を日本中に流通させることで豊かな国を造ろうとした。
後白河法皇(松田翔太)は、今様などの文化で日本を豊かにしようとした。
かたや<経済>、かたや<文化>。
どちらも人の生活を豊かにするものであり、ふたりが目指した国造りは間違っていなかったし、いい感じで役割分担が出来ていた。
その役割分担をうまく仕切っていたのが、建春門院滋子(成海璃子)。
見事な才女、女性政治家ですね。
西光(加藤虎ノ介)や成親(吉沢悠)の不満もうまく収めていたし。
なので、そんな滋子が亡くなるシーンは象徴的だ。
儀式で<華麗に舞い踊る清盛の孫たち>。
武士が貴族のように舞い踊っている。
この孫たちが象徴するのは<武士と貴族の融合>だ。
そして、<武士と貴族の融合>することこそが、滋子の目指した世界だった。
だから滋子は、舞い踊る清盛の孫たちを楽しそうに見つめる。
その後の後白河法皇との抱擁シーンでも<武士と貴族の融合>が象徴的に語られる。
しかし次のカットでは、唐突に滋子の死が描かれる。
まるで<武士と貴族の融合>した調和した世界が一気に崩れるかのように。
上手い象徴表現ですね。
通常、大河ドラマなどでは、人が亡くなるシーンというのは叙情的・感傷的に描かれる。
だが、今回作家さんはそれをせず、<舞い踊る清盛の孫たち>→<滋子の死>という唐突な展開で、<武士と貴族の融合>の崩壊を描こうとしたようだ。
というわけで今回は架け橋としての滋子の死を描いた回でしたが、面白かったのは清盛が西光に言った次のせりふ。
「宮中行事にうつつを抜かしている暇はござらん」
以前の清盛なら、もっと相手のことを配慮した別の言い方をしていたはず。
たとえば、「私は福原のことで手一杯なので、万事は都にいる重盛に」とか。
つまり清盛は物事が見えなくなってきているんですね。
傲慢になったとも言える。
前回の兎丸のことも一時的な対処療法で、清盛の目を完全に覚ますものではなかったようだ。
こう考えると、清盛に<経済>を、後白河法皇に<文化>を担わせようとした建春門院滋子が一番聡明な人物に思えるのだがどうだろう?
「宮中行事にうつつを抜かしている暇はござらん」と語る清盛は完全に文化軽視の<経済人>ですからね。
後白河法皇(松田翔太)は、今様などの文化で日本を豊かにしようとした。
かたや<経済>、かたや<文化>。
どちらも人の生活を豊かにするものであり、ふたりが目指した国造りは間違っていなかったし、いい感じで役割分担が出来ていた。
その役割分担をうまく仕切っていたのが、建春門院滋子(成海璃子)。
見事な才女、女性政治家ですね。
西光(加藤虎ノ介)や成親(吉沢悠)の不満もうまく収めていたし。
なので、そんな滋子が亡くなるシーンは象徴的だ。
儀式で<華麗に舞い踊る清盛の孫たち>。
武士が貴族のように舞い踊っている。
この孫たちが象徴するのは<武士と貴族の融合>だ。
そして、<武士と貴族の融合>することこそが、滋子の目指した世界だった。
だから滋子は、舞い踊る清盛の孫たちを楽しそうに見つめる。
その後の後白河法皇との抱擁シーンでも<武士と貴族の融合>が象徴的に語られる。
しかし次のカットでは、唐突に滋子の死が描かれる。
まるで<武士と貴族の融合>した調和した世界が一気に崩れるかのように。
上手い象徴表現ですね。
通常、大河ドラマなどでは、人が亡くなるシーンというのは叙情的・感傷的に描かれる。
だが、今回作家さんはそれをせず、<舞い踊る清盛の孫たち>→<滋子の死>という唐突な展開で、<武士と貴族の融合>の崩壊を描こうとしたようだ。
というわけで今回は架け橋としての滋子の死を描いた回でしたが、面白かったのは清盛が西光に言った次のせりふ。
「宮中行事にうつつを抜かしている暇はござらん」
以前の清盛なら、もっと相手のことを配慮した別の言い方をしていたはず。
たとえば、「私は福原のことで手一杯なので、万事は都にいる重盛に」とか。
つまり清盛は物事が見えなくなってきているんですね。
傲慢になったとも言える。
前回の兎丸のことも一時的な対処療法で、清盛の目を完全に覚ますものではなかったようだ。
こう考えると、清盛に<経済>を、後白河法皇に<文化>を担わせようとした建春門院滋子が一番聡明な人物に思えるのだがどうだろう?
「宮中行事にうつつを抜かしている暇はござらん」と語る清盛は完全に文化軽視の<経済人>ですからね。