平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

花燃ゆ 第17回「松陰、最期の言葉」~どうか一粒の籾として次の春の種となれますよう

2015年04月27日 | 大河ドラマ・時代劇
「草莽の声に耳をお傾け下され!」
「徳をなくした政事の果ては亡国にございます」

 井伊直弼(高橋英樹)と対峙して、思いを語る松陰(伊勢谷友介)。
 そうですね、もし、井伊が松陰の言葉に耳を傾けて対話していれば、松陰は過激行動に走らなかったかもしれませんね。
 強く押さえつければ、反発も強くなる。
 怒りは怒りを呼び、憎しみは憎しみを呼ぶ。
 やられたらやり返す。
 これが歴史の必然。
 桜田門外の変での井伊の暗殺は、安政の大獄がもたらした必然であったのでしょう。

 だから必要なのは、対話。
 幕藩体制という当時の社会制度では、大老と一藩士が対話をすることは難しかったのでしょうが、現在、われわれが教訓として学ばなくてはならないのはこれだろう。
 決して力で押さえつけてはならない。
 もっとも権力は自分の権力維持のために力で押さえ込もうとしますけどね。

 結局、歴史は権力闘争。
 幕末で言えば、幕府VS倒幕派。
 この両者の間に中間派がいる。
 たとえば、杉家の人たちのように政治から離れて生活を大切にする人たち。
 伊之助(大沢たかお)のように穏やかな改革を望む者たち。


「もし同志の中で私の心を継いでくれる人がいたら、私の実は空ではない」
「どうか一粒の籾として次の春の種となれますよう」

 人は生きて、多かれ少なかれ何かを残す。
 それは子供であるかもしれないし、作品や製品といった仕事であるかもしれない。
 松陰の場合は、言葉と生き様。
 これが高杉晋作(高良健吾)ら、弟子たちに受け継がれた。

 松陰は種だった。
 ここから芽が出て、成長して、明治維新という花を咲かせるには、もっと多くの時間と労力が必要だった。
 久坂玄瑞(東出昌大)が死に、高杉が死に、利助(劇団ひとり)が最終的には総理大臣に。
 人生を四季にたとえ、歴史を植物の成長にたとえるあたり、いかにも日本人ですね。 

 最後に文(井上真央)。
 彼女は<松下村塾>という場所にこだわった。
 そこは兄や弟子たちが帰ってくる場所。
「道に迷った人たちが戻ってくる場所」という言い方もしていた。
 文にとっては、松陰と久坂たちが議論をし、学んでいたかつての松下村塾がキラキラした場所だったのだろう。
 しかし、歴史は流れていく。
 文の思いなど、簡単に押し流していく。

コメント (4)
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