久坂(東出昌大)は最期に言う。
「しくじってばかりの人生だったが、四季があった。
悲しむことはない。あとは皆が志を継いでくれる」
やたら自分の死を意義あるものにし、美化しているけど、要するに久坂は「しくじった」のである。
鷹司卿に裏切られることも予想できなかったし、薩摩との政争にも敗れた。
好戦的な来島又兵衛(山下真司)を抑えることもできなかった。
ただ、それだけ。
結果、もたらしたものは<朝敵><長州征伐>。
久坂は自分の状況判断が甘かったこと、政治力が足りなかったこと、至誠では人は動かないことを覚り、嘆くべきだった。
自らの死を美化してはいけない。
こう書いてしまうのも、〝久坂たちにも理がある〟ということがドラマとして描かれてこなかったから。
作家としてはそのつもりだったのかもしれないが、印象として残ったのは、尊皇攘夷の拝外主義者、テロ集団としての久坂たち。
久坂たちに〝理がある〟と視聴者に思わせるとしたら、過激なテロ集団としての自分たちを総括させるべきだった。
久坂たちがやろうとしたこと。
これはおそらく、幕府を倒し、帝を中心とする国家をつくり、国一丸となって攘夷をおこなうというものだったのだろう。
だが、それは時期尚早だったし、薩摩のようなしたたかさはなかった。
まあ、ドラマとしては、明治の世になって、「久坂たちのやろうとしたことは間違っていなかった」「志は貫かれた」「久坂の死は意味があった」と、文(井上真央)に後付けで言わせるんだろうけど。
大奥編に関しては、違和感と不安。
「文という無力な女の名は捨てます」
文が大奥の中でのし上がり、政治力・発言力を持つみたいな話になれば面白くなるのだろうが、果たしてどうか?
今まで文さん、握り飯をつくってるイメージしかないからな~、いきなりデキる女になってしまうのも……。
というか、27話でこの心境というのは遅すぎ。
文が主人公になっていない良い例だ。
「しくじってばかりの人生だったが、四季があった。
悲しむことはない。あとは皆が志を継いでくれる」
やたら自分の死を意義あるものにし、美化しているけど、要するに久坂は「しくじった」のである。
鷹司卿に裏切られることも予想できなかったし、薩摩との政争にも敗れた。
好戦的な来島又兵衛(山下真司)を抑えることもできなかった。
ただ、それだけ。
結果、もたらしたものは<朝敵><長州征伐>。
久坂は自分の状況判断が甘かったこと、政治力が足りなかったこと、至誠では人は動かないことを覚り、嘆くべきだった。
自らの死を美化してはいけない。
こう書いてしまうのも、〝久坂たちにも理がある〟ということがドラマとして描かれてこなかったから。
作家としてはそのつもりだったのかもしれないが、印象として残ったのは、尊皇攘夷の拝外主義者、テロ集団としての久坂たち。
久坂たちに〝理がある〟と視聴者に思わせるとしたら、過激なテロ集団としての自分たちを総括させるべきだった。
久坂たちがやろうとしたこと。
これはおそらく、幕府を倒し、帝を中心とする国家をつくり、国一丸となって攘夷をおこなうというものだったのだろう。
だが、それは時期尚早だったし、薩摩のようなしたたかさはなかった。
まあ、ドラマとしては、明治の世になって、「久坂たちのやろうとしたことは間違っていなかった」「志は貫かれた」「久坂の死は意味があった」と、文(井上真央)に後付けで言わせるんだろうけど。
大奥編に関しては、違和感と不安。
「文という無力な女の名は捨てます」
文が大奥の中でのし上がり、政治力・発言力を持つみたいな話になれば面白くなるのだろうが、果たしてどうか?
今まで文さん、握り飯をつくってるイメージしかないからな~、いきなりデキる女になってしまうのも……。
というか、27話でこの心境というのは遅すぎ。
文が主人公になっていない良い例だ。