平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江戸川乱歩 「踊る一寸法師」

2007年12月19日 | 短編小説
 江戸川乱歩の「踊る一寸法師」の一節。

「八字ひげの手品使いは酒樽のふちをたたきながら、胴間声をはりあげて、三曲万歳を歌い出した。玉乗り娘の二、三が、ふざけた声で、それに合わせた。そういう場合、いつも槍玉に上がるのは一寸法師の緑さんだった。下品な調子で彼を読み込んだ万歳節は次から次へと歌われた」

 大正時代の描写である。
 この時代には「八字ひげの手品使い」「玉乗り娘」「一寸法師」らが通りにいた。
 街にいかがわしさがあった。
 乱歩は子供ものでもこれらのいかがわしさを描いてきた。
 「二十面相」「黄金仮面」「青銅の魔神」
 僕らはこれらをわくわくして読んだ。

 今の時代にはこうしたいかがわしさがない。
 きれいな数学的な無機質な街並み。

 「地獄の季節 酒鬼薔薇聖斗がいた場所」(高山文彦/新潮文庫)では少年Aのいた須磨ニュータウンのことが描かれている。
「六角形の巨大な箱の底のような広場は、見渡す限り人工の石畳で敷きつめられている。まわりを囲む垂直の壁は、百貨店の大丸であり、スーパーマーケットのダイエーであり、それらを囲むようにつないでいるマクドナルドや無数の和洋中の食堂、用品店、花屋、書店などのはいったショッピングモールだ」
 そして犯行の行われた「タンク山」がかろうじて残された「異界」だと表現している。

 合理的で窮屈な現実の中で人は異界を求める。
 都市伝説がそう。
 グリコ森永事件で犯人が「かい人二十面相」を名乗ったのにも同じ根があるような気がする。
 現在の街には異界がない。

 乱歩の小説を読んでそんなことを考えた。



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